私たちにできること

 さてどうなることやら。
 超現実主義の米国トランプ大統領と体制の維持とメンツに異常なほどに執着する北朝鮮金正恩委員長。米国と北朝鮮の挑発合戦はエスカレートし、日本を含む周辺国では緊張感が高まってきている。有名無実とはいえ北朝鮮と軍事同盟(中朝友好協力相互援助条約)を結んでいる中国。大統領が弾劾されまだまだ国内政治が不安定な韓国。日本は北朝鮮高官から「一番被害が大きくなる」と名指しで恐喝された。

 トランプ大統領は北朝鮮への軍事行動について「レッドラインを超えたら」と公言している。レッドラインが何かは具体的ではないのだが、多くのメディアは北朝鮮の6回目の核実験ではないかと噂しており、明日25日に開催される朝鮮人民軍創建85周年がそのXデーではないかとその注目が集まっている。

 戦争になるかならないか。軍事衝突した場合の日本への影響は?衝突しなかった場合の北朝鮮と国際社会の落とし所は?ただただ思うのは、この世の中には全く話しにならない人がいて、理解させることも、私たちが理解することも難しい人がいるということ。残念ながらそれが現実であるこということだ。

 国内でもまた残酷な事件が発生した。どうして?、とか、なぜ?という理解が全くできない事件。

 千葉市松戸市でベトナム国籍の小学校4年生の女児が連れ去られ殺害された事件で、犯人はその少女が通う小学校の保護者会会長をしていた人物だった。親に手をかけられて殺害される事件も痛ましいが、守るべき立場である大人が顔見知りの児童を殺害するなど、想像を絶する思いだ。「知らない大人についていってはいけません」と親は教育をしているが、これからはどう教えていけばいいのだろうか。「知っている大人でも、信用してはいけません」と言わなくてはならない世の中に憤りを覚える。

 先日、熊本地震から1年が経ち、震度7が2回襲った益城町などで追悼式が開かれた。
「朝起きて、学校へ行き、勉強をし、部活を終え家へ帰る。嫌なことや不満もあったがその当たり前の日常がなんて素晴らしいことなのだろうと今は思えます」
 一瞬にして人生が変わることがある。私たちが学ばなくてはいけないことは何か。人生の意味があるとしたら、与えられた使命やその役割より、生そのものの儚さに心が痛む。

麻生財務大臣は予算委員会にて2番目に大切なことは何かと問われてこう答えている。
「生きていく上に大事なことは朝は希望を持って目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る。その気持ち」

 空海(弘法大師)は「三界の狂人は狂せることを知らず 四生の盲者は盲なることを識らず、生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く死に死に死に死んで死の終わりに冥し(くらし)」という言葉を残している。
 これは、「秘蔵空論」という詩の一節だが、人は何度生き死にを繰り返してもなぜ生まれるのか、なぜ死ぬのかを知らない。輪廻の流転を繰り返す凡夫の姿を、空海自身も己の姿の中にも見出そうとしたのだろう。

 神は人間にとって、この世を思い通りにならない世界にしたという。罪を犯した悪人が罰を受けるとは限らないし、善人が長生きできるとも限らない。自然の摂理、事件、事故、戦争。私たちは何1つ、未来を正確に予測できないし、予測できたとしても全てに対策を取ることもできない。

 逆に全て予測できたとしたら、私たちはどのくらい生きることに執着できるだろうか。誰と結婚し、どんな人生を送り、そしていつ死ぬのか。未来が全てわかる世界だとしたら、私たちは人生に意味を見出そうとするだろうか。人生には時に残酷で、我慢ならないこともある。到底受け入れがたいこともあるだろう。全て正しい方を選択するとは言い切れないし、私は自分が善人だというほど馬鹿ではない。

 思い通りにならず、何がおこるかわからない世界だからこそ、勉強に励み、人を愛し、人生を向き合うことができるのではないかと思うとやはり生まれたことにに意味は必ずあるのだと思えるのである。

 私たちにできるのはいつも身を綺麗にし、出かける時には大切な人、愛する人に笑顔で「行ってきます」と伝え、悔いのない毎日を過ごすことぐらいではないか。今という時をしっかりと生きていたいと思う、今日この頃。


今の日本に、何か足りない議論軸

316 今の日本に何か足りない議論軸

 少し前の話題。

「フランスのパリにある高級百貨店ギャラリー・ラファイエット系のBHVマレ店がフランス国内初の日曜営業を開始した」というニュースを目にした。最初は意味がわからず、すぐに理解することはできなかったが、調べてみるとパリの百貨店はこれまで平日の営業のみであり、日曜日は閉館していたのだという。

「百貨店の日曜営業は当たり前」という感覚の私からすると耳を疑う話である。

今回はマクロン法というフランス国内の経済成長・経済活動振興に関する法案による日曜営業の規制緩和を受けたものだとか。しかしこの規制緩和により百貨店は組合との労使交渉を重ねたが、多くの組合は日曜営業開始のための交渉に合意せず、唯一BHVマレ店が日曜勤務に100%の割り増しや1日当たり55ユーロの託児支援金を払うなどの条件で合意したのだという。

しかしBHVマレ店でさえ、日曜日に空いているテナントは少なく、多くのテナントは閉店しているそうだ。

ニュースではそこで働く従業員の声をインタビューしていた。

割り増しで賃金がもらえるのは有難いという意見もあれば、日曜日は家族や自分の好きなことをしたいから休みたいという声もあった。

フランスらしいニュースだと感じたが、お国柄が違えば商い慣習も随分違うものだ。

さて国内でも今年の2月24日から、プレミアムフライデーが始まる。これは月末の金曜日には15時を目処に退社し、消費を喚起しようという試みだ。積極的な参加を社員に呼びかける企業がある一方で、顧客対応を理由に導入に慎重な企業も多く、対応は分かれているようだ。

休みより仕事を優先しろと言うつもりはないし、早く帰って消費が上がるとすればそれは歓迎すべきことだ。それによって消費にどのくらいの影響があるかは疑問だが、何も取り組まないよりはマシなのかもしれない。

毎年行われている有給休暇の国際比較調査(エクスペディアが調査)で、世界28カ国18歳以上を対象に調査をした結果が公表されているが、それによると日本は支給日数に対し消化率は50%で最下位であった。

ブラジル、スペイン、フランス、オーストリア(いずれも経済的に困窮している国だが)、香港は取得率100%、アメリカでも80%である。調査結果では有給消化率が世界一低いにもかかわらず、なぜか「休みが不足している」と感じている人の割合もは3割程度とこれも世界一低いというデータもあったが、逆に休みを取ることに罪悪感を感じている人が6割にものぼるというデータもあった。

休みが少ないとは感じていないが、有給などを取得するには職場の空気がそうはさせないものになっていると、調査結果は結論づけている。

私は大学中に営業職のアルバイトを経験し、その後、自分で仕入れて売るという個人事業をやっていた。程なく実家に戻り親の会社へ就職し、起業したこともありサラリーマンの経験がない。だから私が仕事を辛いとか苦しいと思ったことがあったとしても、純粋にサラリーマンの気持ちがわかるか、と言われれば確かにわかっているつもりでも意識の乖離はあると思う。

しかしすべては表裏一体である。休みを増やし人生を豊かにする議論をする一方で、時間に縛られない働き方や仕事を通じて成し遂げることの素晴らしさも議論をしてほしいと思う。

このままでは仕事は人生を削るだけで、できるだけ仕事をしない方が良い人生を送ることができると勘違いする子供が育ちかねないのではないか。

仕事は嘘をつかない。それに逃げ腰になっている人と、それを横目に馬車馬のように走り、ガツガツ仕事をする人との仕事格差はおそらく開く一方だろう。収入格差もますます広がるだろう。

私は休みたい人は遠慮せずに休み、人生を謳歌してほしいと思う。しかししかし仕事を通じてしかできないことを目的にしている人は時間など気にせずに仕事をすべきだ。そして社会に足跡を残してほしい。

アリとキリギリスを思い出した。今日の楽しさは大切だが、どうも今の日本国内の議論には根本的に何かが足りない気がするのは私だけだろうか。


現実主義の風が強く吹く今だからこそ

2016年、世界にとって政治的な大きな動きが2つあった。

1つは英国の国民投票において、EU離脱を国民が選択したことだ。EUは1993年のマーヒストリヒト条約発効によって誕生した。その条約には目的として国境のない地域の創設や通貨統合による経済的・社会的発展。外交・安全保障政策の共通化。司法や内務協力の発展や欧州市民権の導入などが明記されている。すなわちそれは近隣国家同士の理想の実現に向けたものであり、世界に類を見ない国家連合の実験でもあった。  

しかし英国国民は現実を選択した。理想主義が現実主義に敗北した瞬間であった。

2つ目は米国大統領にトランプ氏が選ばれたことだ。トランプ氏の公約には「米国だけの利益の追求」についての言葉がズラリと並ぶ。メキシコの国境に壁を作る、高い関税をかけて国内の雇用を創出する、安全保障下にある国から対価を要求する。またオバマ氏の肝入であった就任早々にTPPには永久に参加しない、オバマケアは廃止という大統領令を発効した。トランプ氏は超現実主義者である。側近はファミリーで揃え、相続税の廃止も掲げている。スローガンは“強いアメリカを取り戻す”。米国国民は8年前にオバマ氏が語った理想にNGを突きつけて、現実主義者を選んだ。

今、世界は現実主義の風が吹いている。日本はどうだろうか?

2016年の国内経済について良いという数字を見つけるのは難しい。不要不急である百貨店、自動車、住宅は低迷し、いよいよ2018年から世帯数も減少する。人口ボーナスという基礎的な経済効果が見込めないどころか、出生数は年間100万人を下回った。また1月に発表された海外投資家の日本市場における売買額では、リーマンショック時に匹敵する5.7兆円の売り越しであった。

しかし2016年の株価は底堅く推移をした。日経平均の株価指数では0.59と僅かであるがプラスであった。国内経済に良い要因など何も見つからない上に海外投資家も離れている。では何故株価だけが好調なのか。

 その1つとして考えられるのは、130兆円の公的年金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)と日本の資本主義の頂点に君臨する黒田総裁が率いる日銀が上場投資信託(ETF)で合わせて8兆円近くと買い込んでいることだろう。日本市場に大きく投資をしているのは、紙幣印刷の輪転機を持つ日銀と私たちの年金だと思うと、暗澹たる気持ちになってしまう。悪いことを悪いと認めないことは必ずそのツケを誰かが払うことになるのだが、おそらくその多くは私たち国民なのである。

 世界も日本も今は現実主義の風が強く吹いている。そして私たち経営者も現実の世界で生きている。理想は持っているが、目下の課題は現実であり、その現実にいつも苦しい思いをしているのも事実である。

 先日、Jackグループ新年賀詞交歓会での私の講演での感想でこんなメッセージをいただいた。

「経営者がよく”君はどうしたいんだ?”と聞きますが、社員は”社長はどこに連れていってくれるんですか?”と思っているのが社員の本音です」というお言葉が印象的でした。自分自身よく社長から「おまえはどうしたいんだ?」とよく聞かれ、その度に困った経験がありました。経営者こそが理想を語るのが仕事と仰っておりましたが経営者と社員の役割の違いをとても分かりやすく表現して頂きとても勉強になりました。」

 現実主義の時代では現実主義と理想主義の議論はいつも現実主義者が勝つ。だからといって現実だけを見ていて私たちに未来はあるだろうか。自分さえよければいいという現実主義思考に明るい未来などないと私は思う。

 私はこんな時代だからこそ、企業経営者には理想を掲げほしい。現実主義の風が強く吹く今だからこそ、多少の犠牲を払っても理想を夢みてほしい。ただの現実逃避である“夢想家”ではいけない。

理想という経営者が成し遂げたい夢とロマンがあるからこそ、社員は鼓舞されて“この人なら”と共に厳しい歩みを歩んでくれるのだ。上手くいかないことが多い現実だからこそ、私たちは高い志と理想を追い求めたい。それは企業経営者に課せられた使命の1つなのではないかと思う。

雲の上で見える風景は地上では見ることはできないのである。

KUMODE


始めるに遅い、ということはない

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

スタートというものは清々しく、気持ちが良いものだ。ゴルフの1番ホールのティーショット、ライブの1曲目、朝一で飲む濃いブラックコーヒー、正月恒例の駅伝のスタート、サッカーの開始のホイッスル。
それまでのことはそれまでのこと。新たな一歩はまた新たな一歩。
新たなスタート地点に立ち、どのようなドラマが待っているのか、ワクワクした気持ちをいつも持っていたいものだと思う。

2017年1月1日。この日をスタートにして、また長くて短い1年が始まる。
昨年にあった色々なことを都合よくリセットし、新たな気持ちでスタートを切ることができる。今年はどのような年にしようか、どんな年になるだろうか。そんなことを考えながら新たな年を迎えた人も多いだろう。

数え年というものがある。生まれた年を1歳とし、新年を迎えた時に1歳を加えて数える年齢のことだ。私は数え年でいうとこの新年で46歳となった。めでたいのか、めでたくないのか。年齢を気にしたことはないが50歳まであと4年である。

年末や正月になると「1年が過ぎるのが本当に早く感じるようになった」という会話を耳にすることが多い。私もそう感じていて、同じ24時間のはずだが若い時と今ではその速さが違っている感覚がある。

ある人に教えて頂いたのだが、年齢と感じる時間について、ジャネーの法則というものがあるという。
「ジャネーの法則とは19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者・ピエール・ジャネの著書において紹介された法則である。主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に説明した。
 簡単に言えば生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)。
例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる。」(Wikipediaにてジャネーの法則を参照)

 この法則に従えば、私が社会人となった23歳からこれまでの45歳の逆数を和したもの1とすると、46歳からほぼ引退であろう65歳の逆数を和したものは0.51となる。

 これは社会で出てからこれまでの人生の長さの約2倍のスピードで65歳になってしまうことを意味している。私にとってこれからの人生は物凄いスピードで過ぎていってしまうことを指している。

 これからの人生、時間には非常に価値があり、貴重なのだと再確認をしたが、これを若い時に聞いても理解できるかどうかにはわからない。

 私が学生だった頃、お金も実力など何もなかったが時間だけは充分にあった。授業をサボってボーっと自室の天井を見ながら、「この時間が永遠に続く」というような感覚に陥ったこともある。
社会へ出ることもまさか親になることもその時は想像すらできなかった。これからどのような人生が続くのか。時間だけがゆっくりと過ぎる。若い時、人生は長く長く続く旅のようだと思われた。
 もし25年前に戻れるなら、20歳の私に言葉をかけられるのならどんな言葉をかけるだろうか
「光陰矢の如し?いやいや光の速度より時間は早い」

そんな言葉をかけてもおそらく、若い時の私は理解できないだろうし、理解する気もないだろう。若さとはそんなものだ。

哲学者のルソーはこのように言っている。

「なんと速やかに、我々はこの地上を過ぎて行くことだろう。人生の最初の4分の1はその使い道もわからないうちに過ぎ去り、最後の4分の1はその楽しさを味わえなくなってから過ぎて行く。しかも、その間の4分の3は睡眠、労働、苦痛、束縛、あらゆる種類の苦しみによって費やされる。人生は短い」

始めるに遅いということはない。やりたいことには早く取組み、全部やったらいいと思う。

人生は短い。

理想主義と現実主義 それは常にすれ違う

今から10年ほど前、私はある青年経営者の思想と行動に関心を寄せていた。

それはワタミの渡邊元社長である。渡邊氏の代名詞は「夢に日付を入れる」。彼は多くの書籍を発行し、私は20代の頃、その影響を受けた。

「手帳にやるべきこと、やりたいことや夢を描いて、実現したら赤で消す」

そんな手帳まで発売されて私も購入をした覚えがある。

当時の渡邊氏は理想主義者であった。そしてその理想は明確であった。

「〇〇年までに売上〇〇」「全世界に〇〇店舗」

その理想に共感し共に叶えようと多くの社員が入社をしたのだと思う。渡邊氏の哲学に惚れ、その様になりたいと思った人もいただろう。しかし2006年に介護事業に進出し(2015年に同事業は売却)2010年頃から拡大戦略に陰りが見え始めた。2011年の震災以降、その傾向は顕著になってきた。

渡邊氏はそれまでの理想の礎であった拡大戦略についての方針変更を発表。「質への転換」を口にした。

理想主義から現実主義への大きな転換であったのだろう。私が思うに、理想を追い求めてきた社員は急に現実に直面をすることになったのではないだろうか。

夢を実現するために犠牲に我慢をしてきた現実。犠牲なく夢が叶えばいいがそこまで世の中は甘くない。理想主義から現実主義へ。時間と共に社員の人生や働き方などに焦点が当たる様になった。理想を追うことで犠牲としていた現実問題が、まるで魔法が解けたかのように一気に噴出してきたように感じる。

強烈で際立った理想主義であったが故に、その歪みはなかなか収まりをみせていない。

国家に支える官僚や国会議員も理想主義者であってほしい。理想の国家や国作りのために24時間、世界と交渉し、政策を作り、実行をし国民の声に耳を傾けてほしい。理想を実現するために多少の犠牲は必要だ。国民の1人1人にその理想を実現するために説いていく。官僚や国会議員が強い理想主義であれば国民は納得をして行動するだろう。

しかし現在の官僚と国会議員の多くは現実主義であるように見える。現実である“今”がどうであるかが第一となっているように感じる。

利権を見つければそれを利用し、保身を図る。誰も身を切ろうとしない。現実主義者は今を大切にし、現実的な未来を選択するものだ。昇進のために必要なことはするが、それを阻害する様なことはすることはない。トップが現実主義者であれば、部下に理想主義者がいればそれを潰す。「余計なことはするな」と戒めるだろう。現実主義は冷酷だ。自身の現実を邪魔する者は左遷させることもあるだろう。

国作りには大きな理想が必要なはずだ。しかし今、国家全体が現実主義となっているのではないかと思う。少子高齢化の心配だが、現実である今と自分、そして自分の家族のことが心配。そんな思いを持つ官僚や国会議員が理想を追い求めるわけがない。

理想主義者と現実主義者。常にそれはすれ違っている。

人の問題で悩む経営者が多いが、問題なのは人の問題ではない。人の問題が連鎖をして止まらないことが問題だ。次から次へと連鎖して起きている場合は人の問題ではなく、社員に歪みが入っている可能性がある。

○年に○○と理想を掲げてそれに向かっているが、実は役員は身内ばかりを登用している。

働き方や楽しい職場だったのに、組織ができて目標ができ、数字が仕事の目的になっている。

「社長のことが好きだけど、今の職場は好きになれません」

そんな声が上がっていることはないだろうか。

経営者は理想主義者でも現実主義者でもいい。ただ理想主義と現実主義の切り替えには大きな痛みを伴うことは覚えておいた方がよい。するとそれは歪みではなく会社の転換期なのだと理解できる。

米国の次期大統領のトランプ氏は強烈な現実主義者だと思う。彼が大切なのはトランプ氏自身とトランプ氏の家族。そして自国民だがまずは白人という様に極めて現実的である。世界の秩序や環境問題などまるで関心がない様に見える。しかしそうであってもなぜ彼が支持されているのか?

それは現実主義者であることを包み隠さず公表していることだと思う。ここで彼が崇高な理想を求め世界の秩序に関心をもち、能力に関わらず側近を登用し、それに向かって馬車馬の様に働き出したらどうなるか?ホワイトハウスは大きな歪みが生じ内紛、不正が横行するだろう。もっともそうであればトランプ氏ではなくともよいという選択になるだずだ。

理想主義と現実主義は常にすれ違っている。歪みか転換期か。いずれにせよそれは必然なのだろうと思う。


物の興廃は必ず人に由る、人の昇沈は定んで道に在り

 先日、「アイヒマン・ショー/歴史を写した人たち」という映画をみた。アイヒマンというのは第二次世界大戦下のナチスドイツにて「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)に関与し、数百万人の人々を強制収容所に移送するにあたり指揮的役割を担った人物である。アイヒマンは戦後、逃亡先のアルゼンチンで発見されモサドによってイスラエルに連行、裁判にかけられた。

 この映画はその史実に則り、また当時のフィルムや目を背けたくなるような写真を交えながら映像化されている。彼は裁判の間、罪悪感を全く感じているという素ぶりを見せることはなかった。結局、死刑判決となるのだが「大変遺憾に思う。しかし命令に従っただけ」と最後まで無罪を主張したという。アイヒマン1人を処罰しても罪が償えるわけではないが、ホロコーストという人間が起こした狂った惨劇を改めて見せられて、戦争の恐ろしさは人が人の感覚を忘れてしまうことだと強く感じた。

“熱狂”は集団的な狂気を生むこともある。

 2009年、旧民主党が政権交代を果たした。国民1人1人の生活が変わるかもしれない。日本は新しい時代が来たという熱狂に包まれた。しかしその期待は見事に裏切られた。私たちの熱狂は落胆に変わった。

 2010年、チェニジアから民主化運動、いわゆるジャスミン革命が口火となりそれはエジプトなどアラブ諸国にも広がった、アラブの春。FBなどのSNSを駆使し市民は革命を起こし軍政から主権を手に入れた。

 革命という熱狂がもたらしたものは何だったか?現在は統率が取れない国内にて内戦の活発化、テロ勃発、イスラム国の台頭など以前より国民生活は確実に悪くなっているという。

 “熱狂”は群衆を動かし、歴史を変える。しかしその結果は良いとは限らず、長くは続かない。

 米国でも熱狂が渦巻いている。過激発言を繰り返すトランプ氏が次期大統領となった。国民は二分された。これは熱狂なのか、それとも改革か。トランプ氏は稀代のリーダーになるという人もいれば、最悪の結果を招くという人もいる。超大国・米国。この熱狂の行き先に何があるのか。今は誰にもわからない。

 先日、高野山へ訪れた。日曜日に訪れたのだが、人で溢れ活気に満ちていた。前回は外国人の姿が多く目についたが、今回は日本人が多く目についた。同行二人という文字も目についた。

 空海が開祖したこの高野山は昨年1200年を迎えた。1200年という歳月。それは想像をするに難い。
 森羅万象。私は奥の院までの参道を歩きながら、1200年という時を支えてきたものは何だったのか?と考えた。時の権力者に翻弄され、時代の流れにも流浪したこともあったに違いない。一時的な熱狂があったとしてもそれがここまで続いたわけではない。空海の教え、そして真理と思想を頑なまでに求め、人々が想像を絶する地道な日々の積み重ねが、気がつけば1200年だったのではないか。そうぼんやり考えていた。

 変わってきたこともあれば、変えてはいけないものもあっただろう。しかしおそらく空海は1200年続くことを目的としたわけではなく、ただただ道を極めようする今日のこの一瞬とその一瞬が続く永遠を重ねて来たに違いない。それは熱狂という一時的な感情ではなく、普遍的な真理なのだと思う。

「物の興廃は必ず人に由る、人の昇沈は定んで道に在り」

 物が盛んになるのも廃れるのも、全て人による。人の向上や堕落は、その人の信ずる道によるのである。これは空海が身分や貧富に関係なく誰でもが学べる学校の設立に関する文章『綜芸種智院式并序』にある言葉である。

家や会社や学校、集団組織が栄えるか衰えるかは、そこにいる人たちの努力精進、思いやり、優しさ、智慧などがあるかどうか、人としての道を歩んでいるかどうかで決まる、ということだ。

 生きる道を探し、見つけ、学び成長していくことは簡単ではない。時に熱狂が必要な時もある。脇目も振らず、後先を考えない行動も時に必要だろう。しかし歴史から私たちが学ぶべきは熱狂ではなくやはり道を求める心だと思う。

思想、哲学、そして自分自身に問い続ける使命。この世は人の力によってしか変わらない。私は自らの道を探し、そしてその道を進み、使命を求める。そのような生き方をしたい。先に何があるかは神と我を信じるのみである。

KUMODE


London 備忘録

この10月に休みをいただいて英国・ロンドンへ旅をした。目的は特になかったが写真を撮ることが好きなので目的といえばそれが目的。1人旅でした。Instagramで検索すると出てくると思いますのでご興味ある方はぜひフォローをお願いします

robin_kumode です

さてさて。

ロンドンの街並みはどこを切り取ってみても非常に美しい。

おそらく他のヨーロッパも同じであろうと思う が、街の全体像からディテールまでうっとりするような風景である。昨年のニューヨークに訪れたが“時代の 重ね方が違う”とはすぐ感じることができた。

ロンドンの中心地であるトラファルガー広場には多くの観光客で賑わっていた。広場にあるナショナルギャ ラリーにはレオナルド・ダ・ビンチの「岩窟の聖母」やフェルメールの「ヴァージナルの前に立つ女」などを 始め貴重な絵画を見ることができる。あまり絵に詳しくない私でも圧倒される量と質。しっかりと絵画の勉強 をしてくればよかったと後悔した。

ミュージアムといえば大英博物館。やはりここでは「ロゼッタストーン」 は外せない。広い館内に所狭しと世界中の“遺跡”がありサラッと見たつもりでも3時間くらいは経っていた。

今回はミュージアムはこの2つしか回れなかったのだが、見学無料な上に写真撮影が自由にできる。

ロンドンの歴史や文化に関する文献を読むと必ず最初に紹介されるのが、現在は金融の地として有名な“シ ティー”である。中世ではエリアや街を城壁のような市外壁で囲うのだが、シティーはローマ人が紀元50年 頃このロンドンに来た時に、テムズ川北岸に築いた居留地のエリアであり、この市街地を中心に広がった街が 大ロンドンである。少しわかりにくいのだが、ロンドンの行政を仕切っている大ロンドン庁のロンドン市長と このシティーにはロード・メイヤーと呼ばれるロンドン市長という名誉職がある。英国国王がこのシティー内 に入る際にはこの市長の許可が必要だという格式があるらしい。私たちは普通に観光に行ける。

このシティーには1546年に開業をしたという「オールド・チェシャー・チーズ」というパブがある。1 7世紀から300年前と変わらないという細かく区切られた店内は迷路のようであり、歴史の重みがあった。

ロンドンの地理を覚えるにテムズ川とトラファルガー広場を中心とした東西南北を理解すればいい。時間の 許す限りテムズ川をカメラを片手に歩いた。ロンドン塔、ロンドンアイ、ビッグベン、シティーなど今のロン ドンを見ることができる。

市内に意外に多かったのがいわゆるカフェであった。紅茶は上流階級の飲み物だとすればコーヒーはアメリ カ文化の象徴のような気がするのだが、スターバックスを始めカフェネロなど美味しいコーヒーを出してくれ る。ロンドン在住20年のガイドによれば10年前は全然なかったというか驚きだ。

リージェントストリート、オックスフォードストリートには世界を席巻しているファストファッションのブ ランドが勢揃いであった。日本でもおなじみの ZARA や H&M からユニクロ、無印なども見ることができた。私が滞在中にポンドの暴落があったようだが日本と金額はあまり変わらないような気がした。

ロンドン市内を散策するのに TUBE と呼ばれる地下鉄と路線バスは便利である。オイスターカードと呼ばれ るチャージ式のカードでゾーン1から6まで行動範囲を決めておけばどの路線でも乗れる。私は一定期間が使 えるトラベルタイプにしたがこのオイスタカードはバスも乗れるので非常に便利であった。TUBE も複雑に見 えるが慣れるとどうってことはない。駅そのものは小さいので構内での歩く距離が短いのも良かった。

タクシーはブラックキャブと呼ばれる黒いタクシーである。今はそれ意外のタクシーも走っているがロンド ンぽいといえば黒キャブだろう。

さすが大都会、食事をする場所に困ることはないが至るところにパブがある。17時を過ぎた頃からどんど ん人が集まってきて多少の雨が降っても外で立ち飲みをしている店もあった。それぞれ自分のお気に入りと同 じ時間に行くと仲間がいるのだそうだ。定番はローストビーフとフィッシュ&チキンである。噂に聞いていた が市内で日本風デリ?は非常に多い。「わさび」や「ITSU」という絶対に日本人が経営していない感じの寿司 パックを売っている。イギリス風だがこれが意外に美味しかった。米が食べられるだけで何故か安心してしま うのだろう。支払いはクレジットカードと少額でOK。

ただし IC 型とPINナンバーを忘れずに。


難が有ってこそ“有難い”と思える人生

私はゴルフが好きなのだが「なぜゴルフにそこまで熱中できるのか?」の答えは「思い通りならないことが、ムキにさせるのではないか」である。

練習ではうまくいくのに、本番ではうまくいかない。しかしやり続けていると以前は出来なかったことが出来るようになる。

一気にうまくなることができないのがスポーツの面白さであり競技の面白さでもある。だからこそ、そこに諦めを感じる時もあれば、ムキになる時もある。習いとはこのような積み重ねをいうのだろう。

ゴルフに限らず思い通りにならないことだからこそ、真剣にやる楽しみがあるのだと思う。

先般の Jack グループの基調講演でゴルゴ松本氏の“命の授業”を聞いた。

「日本語の50音は愛(あい)で始まり、恩(をん)で終わる」「勉強するより慣れろ」多くのことを聞いたが、私が印象的だったのは、

「人生には辛いことも苦しいこともある。これを難という。困難、苦難、災難。できればこの難はない方がいい。しかし“難が有ること”を“有難い”といい、感謝の気持ちを伝えるのにも“有難う”という。ここの人生をより良く生きるヒントがあるのではないか。また難のない人生を、無難という。無難な人生なんてつまらない」
「難のある人生か、、、」

私も自分の人生を振り返ってみた。

これまで思い通りになってきたこと、そして思い通りにならなったこと。どちらもあったが、思い通りになったことは10%くらい。あとの90%は思い通りにならなかったこと、もしくは思い通りにできなかったことではなかったかと思う。 だからこそムキになって、必死に仕事をしてきた。思い通りになることなんてなかった。しかし思い返すとうまくいかないことからこそ、成長してきたとも感じている。
例えば14年の消費税の増税。問い合わせがガクンと減り、大手が値引き競争を仕掛けてきた。これまで経験したことのないような環境の変化に私たちは戸惑った。これが続くとキツイ、そう感じていた。
「何もかも、思い通りに進まない」

私はその苦しい状況を社員に公開をし、私たちがすべきこと、進むべき方針を議論し、改革を実行した。リストラや統廃合、配置転換や昇降格など、すべき事に手を打った。やっている最中は成長なんて考えることはできなかった。とにかく必死だった。社員は本当によく実行してくれたし、今でもあの苦しさを忘れてはいないだろう。

その結果、強い組織になった。次年度はしっかりと利益も出た。今期も順調に推移している。外部環境が少々変化しても、俺たちには関係ない。そんな強くブレない組織になったと感じている。まだまだ問題や課題は残っているが、思い通りにいかない事てがあったことで、また1つ成長できたのだと思っている。そう考えればあの苦難、困難に感謝しなくてはいけないだろう。
「思い通りにならないこと。それもまたよし」

これが本当の有難うなのかもしれない。 皆さんはこれまでの人生は思い通りに描いた通りだっただろうか。それとも思い通りになっていない人生であっただろうか。
思い通りではなかった人生の方は、その難がいつか“有難い”に変わる時が必ず来る。そう信じて精進を続けてほしいし、歩みを続けてほしい。 私たちは歩みを止めることは簡単であると知っている。いつでも止める事ができるから、私は歩みを止めない。

だからこそ、思い通りにならないこともそれもまた良し。

私たちにゴールがあるとするなら、それは平凡のいう名ではないはずだしそこは行き止まりである。

苦難、困難、災難。難が有るということは成長ができるということ。

難が有ってこそ“有難い”と思える人生。

無難な人生なんてつまらない。そう思う今日この頃である。


風が吹けば、、、

6月4日、気象庁は東海地方の梅雨入りを宣言しました。そういえばぐずついた天候が続くなと思ったらそんな時期なのですね。梅雨が明けたら大好きな夏です。今からどんな夏にしようか楽しみです。そんなことを考えている今日この頃、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

Robinの蜘手です。

先月のこのコラムにて“住宅ローンの借換え”について説明をしたところ、早速、ローンの借換えを希望される、または見直しをしてほしいというご依頼があったようです。メリットがあればすぐに動いた方が良いと思いますが、やはり敏感な方もおられるのだなと感じたました。もっともご自身で借換えをされた方もおられたようで、何よりだと思いました。

“風が吹けば桶屋が儲かる”という言葉があります。

なるほどな、と思うところもあります。話としてはこんな感じです。

「風が吹けば砂埃のために目を病む人が多くなり、目を病んだせいで失明すれば音曲で生計を立てようとするから三味線を習う人が増え、三味線の胴に張る猫の皮の需要が増える。そのため、猫の数が減少し、猫が減れば猫が捕まえる鼠の数が増える。鼠は桶をかじるから桶がよく売れるようになり、桶屋が儲かる」

一見、論理的で、一見“燃える商魂”ですが私たちの周りにも似たようなことがたくさんあります。

例えば、台風が通過した後に雨漏れ診断のチラシを折り込むと非常に反応がいいと聞いたことがあります。熊本地震の後に、関西方面では阪神大震災を思い出したのか、耐震診断や耐震設計についての問い合わせが非常に増えたようです。災害需要、震災需要は少なからず存在します。

岐阜県飛騨地方では、土砂災害の後の土木工事、大雪が降った年の除雪工事など需要が一気に増えます。重機関係などの職種は天候に左右される業種といえ、天変地異があると困るが仕事に困ることがなくなるといった構図になっています。

先日、九州地方の同業種の方の紹介で沖縄県の太陽光発電施設を視察してきました。また沖縄の開発業者とも面談をしてきましたが、「まだまだ沖縄の景色は変わっていきますよ」と鼻息が荒いのが印象的でした。沖縄県は米軍関係者の事件などでバッシングも多いのですが、例えば嘉手納基地の周辺では米軍関係者と結婚されている方も多く、また米軍関係者相手の商売をされている方も多いようでした。

沖縄に関してはマスコミには“十把一絡げ”(じゅっぱひとからげ)のようにあるニュース性のある側面、また理想主義的な角度を報じますが、実際にその土地に土着し暮らしを営んでいる方の話を聞くと、そんなに単純な問題でもないような気がします。

ニュースといえば、東京都知事の舛添さんのネタが連日報道されているようです。少し前のベッキーもそうですが、よくまあ、あれだけ執拗に追いかけることができるなあ、と日本のマスコミには気持ち悪さを通り越して、感心するくらいですね。まあ舛添さんも突っ込みどころが満載なのですが。

さて我がロビンは16年目の今年も元気良く営業しています。クレームや問題も上がってきていますが、1つ1つ誠意を持って対応させて頂いていますので宜しくお願いします。

採用活動の方もひと区切りつきました。2017年は10名の新卒社員の入社を予定しているのですが、苦戦しています。最低でも7名は確保したいのですが、大手、中小に限らず人材不足のようでこち

らは予定通りとはいきませんね。皆様のお知り合いでも新卒社員がおられれば是非、ご紹介ください!

「風が吹けば桶屋が儲かる」ならぬ、「ロビンは人材で支えられている」でしょうか。

未来のロビンを支えるのはやはり人材しかないと強く感じている今日この頃です


増税の延期発表と採用活動

10%の消費増税の再延期が決定しそうである。安倍総理は4月の国会内で

「リーマンショック級もしくは大震災級の事態にならない限り消費税の増税は実行する」と発言をしていた。

久しぶりに聞いた“リーマンショック”。今になってわざわざ言う必要があるのか?と感じた。

5月25日、26日で伊勢志摩にてサミットが開催された。そのサミットにて安倍総理が各国首脳に配布した資料には「リーマンショック級の経済の落ち込みが予測される」というデータがあった。

またなぜリーマンショック??とその時は感じたが、サミットのすぐ後、消費増税の延期を発表。

自分で種を蒔き、そして刈りとるという起承転結だ。4月の国会答弁は“振り”だったのか。

サミットを利用したのは消費増税については国際公約という面目もあったのだろう。わざわざ持ち出さなくてよい資料をサミットに用意したことをみると、世界に発信する機会と大義名分としてはよい機会だったか。

円は111円まで売られ、平均株価も上昇した。増税延期は世界的にはネガティブなニュースであるが、その割には悪い反応ではないだろう。後は夏の選挙をダブル選挙にするかどうかが争点となりそうだ。

兎に角、住宅事業者にとっては胸をなでおろしたニュースであることには違いないが報道を見ていると賛否もあるようだ。特に報道機関やメディアのコメンテイターは“なぜ増税しないのか?”と食ってかかるような意見を言う人もいるが、実態経済を理解していない馬鹿?である。

この国内の経済の停滞感は間違いなく2014年の増税から始まっている。税収の増加は円安効果があったものと駆け込み需要という一時的なカンフル剤に過ぎない。これでインバウンドが落ち着き、また円高に振れていけば一気に国内経済は停滞から収縮へ向かうだろう。その時には抜本的な改革ができればいいが今の議院内閣制と選挙制度がある限り難しいと言わざるをえない。舛添氏のパフォーマンスに東京都民は御苦労様だが、税金を使っている人間が、あの程度だと思うと税金を増やす前にもっとやることがあるはずだ、と思わざるを得ない。

話は変わるが、増税が延期となれば企業戦略にも影響を与えることになりそうだ。特に採用である。

弊社の2017年新卒採用活動も大詰め。5月後半から最終選考会がいよいよスタートした。

“学校のような会社”と社員が言うように弊社は新卒社員、第二新卒との相性が非常によい。弊社の現在の正社員における新卒、第二新卒が占める割合は7割を超えている。逆にいえば特に業界経験者が馴染みにくい会社ともいえる。キャリア採用者は技術系が多く、営業社員は新卒が多いことが特徴だ。

弊社は当初から新卒社員ばかりを受け入れてきた。新卒が多いことと企業の成長スピードはリンクしないかもしれないが、16年経ち振り返ってみると、まだここまでかと思う一方、新卒ばかりの割には健闘している方かもしれない、と感じることも多い。

そのようなことを考えると今後の弊社の成長戦略は新卒社員の質と量にかかっているということなる。

さて2017年の新卒採用活動。

さすが最終選考会まで残っている学生は、どの顔を見ても意欲に溢れ、いい表情をしている。その分、他社からの内定なども出ている学生がほとんどで、最終選考会は学生を面接するだけの会ではなく、なんとか入社して頂こうと弊社のその魅力を伝える場でもある。

弊社のような中小企業の選考会に参加している学生は大手希望がそもそも少なく、業界や地元といった軸を持っている人が多い。聞くところによるとシャープ、東芝や三菱といった超大手の不祥事をみて幻滅する学生も少なくないようだが、それでも大手と中小企業の信頼性とブランドは大きな違いがある。

大手には大手の魅力があるし、中小企業には中小企業の魅力があるが、弊社も自社の魅力を上げて1人でも多くの人材と縁があることを祈っている。

増税になろうとならまいと、私たちは与えられた環境で仕事をしなくてはならない。増税などという外部要因にぶれない会社にしなくてはならない。差別化か、商品か、それとも人か?

弊社は人を選択したい。