(33)平生業成 今を生きる(2025.11.24)
人は死んだら、どうなるのか。
これは人類が誕生して以来、誰一人として避けられなかった問いである。科学がどれほど進歩しても、宗教が衰退したと言われる時代になっても、この問いだけは消えることがない。
「父の体調が思わしくなくて」と話をしていたらある方から「死と肉体と魂」について、興味深い話を聞いた。
人は亡くなってから、最初の七日間で「自分が本当に死んだのだ」という事実を受け入れる。その後、四十九日をかけて今世での思い出の場所や人を巡り、やがて浄土へと続く階段を見つけ、自力でそこを上がっていくのだという。もしこの世に強い未練があったり、残された人を案じ続けたりすれば、その魂は此岸(この世)に留まり、いわゆる地縛霊になる。そんな説明だった。
この話は、日本で広く語られてきた「中陰(ちゅういん)」の世界観に近い。 死と次の世界の間で、人はしばらく留まり、迷い、別れを済ませてから彼岸へ向かう。此岸と彼岸の境目には三途の川があり、生前の生き方によって渡り方が分かれる。川を越えることは、もはや戻れない決定的な一線を越えることを意味する。
こうした物語は、決して日本だけのものではない。キリスト教では、死後、人は最後の審判を受け、天国か地獄かに分かれる。イスラム教でも、死後の審判と来世の報いは信仰の中心にある。ヒンドゥー教では、魂は輪廻転生を繰り返し、行い(カルマ)によって次の生が決まる。形は違えど、どの宗教も共通して「死は終わりではない」と語ってきた。
蜘手家の菩提寺は高山市の「了心寺」さんで浄土真宗大谷派である。
日本で最も信者が多いとされるその浄土真宗は、少し異なる立場を取る。
開祖である親鸞聖人は、それまで国のエリートや貴族たちの嗜みであった仏教を庶民へと開放した法然を師事し、後に浄土真宗を開祖した。
親鸞聖人はそれまでの仏教、密教、宗派とは違い、厳しい戒律を否定し、自ら妻を娶り、肉食をした。そして庶民には「難しい意味はわからなくていい、とにかく念仏を唱えよ」と教え、阿弥陀仏は一人残らず既に救っていると説いた。
これが「平生業成(へいぜいごうじょう)」という教えだ。
「死んでから浄土へ行くのではなく、阿弥陀仏の救いを信じた今この瞬間(平生)に、浄土へ往生することが決定する(業成)」という考え方である。浄土真宗において、人は死後に迷い歩く存在ではない。阿弥陀仏のはたらきによって、人は死と同時に浄土に往生し、ただちに仏となる。中陰の旅も、裁きも、自力で階段を上る努力も必要としない。人は死んだら、迷うことなく浄土へ行けるというのだ。
逆にいえば、浄土真宗は「死後どうなるか」よりも、「今、どう生きるか」を私たちに鋭く突きつけているといっていい。乱暴な言い方をしたら、死後の世界を心配することはない、それより今をしっかりと生きなさい、といったところだろう。
さて仏教における「苦」とは、単なる不幸や悲嘆ではなく老い、病、別れ、死などすべてが思い通りにならない現実の中で、それでも「こうありたい」「失いたくない」と願わずにはいられない人間の在り方そのものを指している。
世界が無常(常に変化するもの)であると分かっていながら、変わらないものを求めてしまう。その「ズレ」こそが、仏教の言う「苦」の本質である。
だから親鸞は「苦しみをなくせ」とは言わない。むしろ、苦しみから逃れられない存在としての自分を深く知り、そのうえでどう生きるかを問うている。
浄土真宗が死後の物語を語りすぎないのも、その問いを、生きている「今」に引き戻すためなのだろう。
過去と他人は変えられない。自分と未来は変えられる。私たちは今をしっかりと生きるしか手段はないのである。
最高経営責任者 蜘手 健介
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