(43)親父の背中(2026.2.2)
小学校二年生か三年生の頃、父親参観日というものがあった。仕事が休みの日ということで、日曜日だったと思う。私はその日をとても楽しみにしていた。
「お父さん、明日の参観日は見に来てくれる?」前の夜、そう聞いた。
父は小さな電気工事会社を経営していた。朝から夕方まで現場へ行き、夕食を済ませてから積算や設計などの業務をこなす。朝から晩まで忙しく働く、仕事人間だった。
父は「明日は仕事だから行けない」と言った。私がその時、寂しそうな顔をしたのだろうか。
「でも、現場を抜けることができれば観に行くよ」そう言ってくれた。
当日、父親参観日の日。授業が始まる前まで父の姿はなかった。しかし、授業が始まってしばらくすると、ガラガラと教室のドアが開く音がした。そこにいたのは父だった。
私は嬉しかった。しかし同時に、どこか気恥ずかしい気持ちにもなった。周りの父親たちがジャケットやシャツ姿でいる中、父一人だけが「作業服姿」だったのだ。
その夜、どのような言い方をしたのかは覚えていないが、私は
「次は作業服じゃない格好で来てほしい」と伝えたのだと思う。
父は怒ることも、声を荒げることもなく、私に諭すようにこう言った。
「ごめん、悪かったな。でもな、お父さんにとっては作業服が正装なんだよ。この服で仕事をして、人の役に立ち、一生懸命家族を守っているんだ。だから、何も恥ずかしいことはないんだよ」
この出来事をなぜ覚えているのかは分からない。ただ、私もその言葉の重みが分かる年齢になった。父が守り抜いてきたもの、その背中、あの言葉に込められた責任感の強さを、改めて痛感している次第である。
一月二十七日、朝八時十五分。自宅にて、母の手を握りながら父は永眠した。八十三歳だった。
外は重い雪が舞う荒天。父が大好きだった飛騨高山を象徴するような、冬の朝だった。
一昨年の十一月に持病の肺気腫が悪化し、以降、入退院を繰り返した。その後、食道がんが見つかり、転移も確認された。一時は厳しい状況もあったが、昨年末には奇跡的に一時帰宅が許され、家族全員で正月を囲むことができた。あの穏やかな時間は、私たちにとって神様からの贈り物のような、かけがえのないひとときだった。
年明けに再入院。本人の「家へ帰りたい」という強い希望もあり、一月十九日に帰宅した。それから約一週間、家族で寄り添い、看病を続けてきたが、一月二十七日の朝、母の手を握りながら静かに息を引き取った。
私も弟も、歳を重ねるごとに父と同じ仕事人間になっていった。親と向き合い、コミュニケーションを取るという優先順位が下がっているという実感は常にあったが、仕事や自分のことで精一杯だった。
皮肉なことに、私が父と向き合えるようになったのは、病床に伏してからだった。好きだったゴルフもできず、外で体を動かすこともままならなくなった父と、病室や自宅でいろいろな話をした。高校生の夏休みに現場のアルバイトへ行ったこと、一緒にゴルフをしたこと、母との思い出話。
自宅や病室を後にする私に、父はいつも
「また来いよ、またな」と手を振ってくれた。
私はこれまで、寂しいという感情が薄いのではないかと思っていた。しかし、強かった父がいなくなり、今はただ、言葉にできないほどの寂しさを感じている。父もまた、口には出さなかったが、心のどこかで寂しさを抱えていたのだろうか。そう思うと、その気持ちに寄り添ってあげられなかったという後悔を、ただただ感じている。
そして私はこれまで、親父の仕事をする背中を見てきたと思っていたが、今になって振り返ると、あれは仕事ではなく、生き方そのものを見せられていたのだとようやく気づいた次第である。
親父よ。
いつも反発してばかりで悪かった。迷うことなく天国へ行ってくれ。
まだ先になるが、私がそちらへ行く時には、笑顔で迎えてほしい。その時を、楽しみにしている。
最高経営責任者 蜘手 健介
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