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代表蜘手のマンスリーメッセージ

2016/02/22

CEO’s mail:16.02

今年の飛騨は本当に雪の少ない冬でしたね。名古屋でも陽気が差すと、小春日和のような1日となります。寒い日だと「今日は寒いね」と話題になりますが、その言葉を聞かないと冬だということを忘れそうになりました。そんな季節も、もうすぐ3月ですね。皆様、いかがお過ごしでしょうか。
Robin の蜘手です。
私の長男も中学3年生。この時期まさに受験シーズンです。地元の公立と私立をそれぞれ受けるようですが、私や息子より妻の方がピリピリしている感じですね。いよいよあの息子が高校生かと思うと、無事ここまで育ってくれたことに、またあまり子育てに参加できなかった私に代わり、母として時に父親代わりとして見守ってくれていた妻に感謝するばかりです。子供としても親としての学び成長することは一生続きます。共にかけがえのない時間を過ごしたいと思っています。
さて高校時代といえば私は高校球児でした。高山市の高山工で甲子園を目指し朝から夜まで練習に明け暮れた高校時代でした。当時の監督で中村監督といい、岐阜県の高校野球界では少し知られた存在でした。岐阜県の飛騨で硬式野球を根付かせた第一人者であり、飛騨から甲子園をという夢を持っておられブレることなく指導を続けられました。
飛騨から甲子園を解いう夢を持ち、定年退職までグランドで声を出しつ付けた名物監督でした。
その中村監督が定年退職をされてから、しばらく連絡などは取ることもなく、会うこともなかったのですが、ある時、久しぶりに会う機会がありました。 私は驚きました。久しぶりに会った監督は、完全に燃え尽きた顔をしており、年齢以上に衰えていたのです。「あの元気で怖かった監督がどうして?」話を聞いてみると、退職後、打ち込むことがなく寂しい毎日だったそうです。それ程、私たちのために高校野球に没頭していたということなのでしょう。
中村監督は私の父親の友人でもありました。その関係で、継いでいる私の弟の会社でも少しパート勤務をしていたようですが、業務としては量なども不安定でしたので、私は是非ロビンの仕事のお手伝いはどうでしょうかと話を持ちかけました。それが後に7年間、ロビンと携わることになる中村先生です。ロビンの仕事をしていただいたからというもの、日に日に若返っていくのがわかりました。
現場で若い社員と一緒に体を使い、汗を流したことが良かったのでしょうか。
宴席で一緒になると「お酒がおいしく食事がおいしい」「現場で職人さんや若いスタッフと汗を流すのが気持ちいい」ととても喜んでくださっていました。もちろん自らの経験を生かしたアドバイスもたくさん頂きました。愚痴なども一切、口にせず私たちの方針を応援してくれていました。
いつしか中村監督はロビンのムードメーカー的な存在となりました。偉ぶることもなく、誰にでも気さくなお人柄でした。若手社員の相談や悩みなども聞いていたと聞きます。
71歳か72歳の時に、高齢のため現場仕事を話合いをし、離れることなりました。「2回目の退職だけど、充実感のあった仕事だった」と言っていたのが心に残っています。
昨年から体調を崩されたと聞いていましたが、2月、逝去の報を耳にしました。
通夜、葬儀の際も特に指示したわけではないですが、高山店はもちろん、岐阜からも最後の別れに駆けつけた社員も多くいました。中村監督にはから高校時代から野球のことを教えて頂いたはずなのですが、それよりは人間的なことや考え方などを多く学んだ気がしています。「やらない後悔より、やってみた後悔の方がずっといい」縁というのは不思議なものですね。野球部時代、3年間のお付き合いがこうやってお互いの人生に深く関われたことを光栄に思い、またそれゆ えに寂しく感じています。心より御冥福をお祈りいたします。

株式会社ロビン 代表取締役 蜘手健介

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