リフォーム・増改築・岐阜|リフォーム・増改築を岐阜でするならロビン(Robin)

instagram instagram pinterest facebook line youtube

代表蜘手のマンスリーメッセージ

2010/05/25

CEO's mail:10.03

皆さん、こんにちは。Robinの蜘手です。自邸から見える山の雪もすっかり溶け、木々も待ってましたというように躍動しているのを感じます。芝があるのですが雪解けしたてのまだ茶色をした芝の間からさっそく雑草が待ち焦がれたように生えていました。雑草も1つの命。「逞しくあきらめない心」雑魂という言葉もあるように小さな雑草にも強くしなやかな命を感じました。

この世には人間だけが存在するのではなく、動物、植物、、全てに命があり、命あるところに成長があります。成長があるところに私たちは生きていることを実感するのです。

「命の尊さ」といえば安易や表現ですが、子供を虐待死させる事件が後を絶ちません。このような事件を耳にすると悲しいという前に言葉を失ってしまいます。自分の子を殺める、、、どうしてそのような事件が起こってしまうのでしょうか。

気になって虐待というものを調べてみました。発表によると2008年には児童相談所で対応した虐待の件数は4万2662件で過去最悪を更新、加害者の約半数は実母だそうです。子供は全て望まれて生まれてきて欲しいとは思いますがそうではない子もいるのでしょうか。また親として頑張ろうと思っても環境等の理由により上手くいかないこともあるのかもしれません。今の世の中、子育ての前に社会全体で親教育を本格的に取り組む必要性を感じます。この発表元によりますと今後このような事件は増加すると考えられているようです。

私に何かできることがないかと考えますが何ができるでしょうか。このような事件を見るたび「子供って親の所有物でない」と強く思うようになりました。子供って一体、誰のものなのだろうか?親のものか??親のものではない。そんなことをしばらく考えていました。

私が色々と考えた答えは「子供は子供自身のものである」でした。当たり前かもしれませんが、それを意識している人は少ないのではないか、と思います。私もそうでした。無意識に「子供は親のもの」と思っていたかもしれません。

では親とは何でしょうか?親は子供を育てる義務があります。私もそう考えていました。しかしそう考えると自分の子供だけを育てればいいことになります。また他人の子は関係がないことになります。それは違うと思います。確かに親は生み出した血のつながった関係には間違いありません。しかしそれは大きい意味はたいしたことではなく、やはり子育ては私は親としての義務ではなく、大人としての義務ではないかと考え付きました。親は生んだ責任上、自分の子として子供が社会の一員として自立をし生活してゆけるまで育て預かる存在です。しかしそれは大人の義務なのだと思います。例えば、子供を生んでみたけど、親として自分がその務めが果たすことができない、、、としたらどうしたらいいでしょうか?親として経済的にも教育者としても権利も知識もないとしたらです。これは親ではなく大人として誰か他の大人にお願いをする、それが大人としての責任だと思います。経済的に問題がある、夫婦間が上手くいっていない等の個人的問題によってそのはけ口を子供に向けるとは親の前に1人の人として問題があるのです。だから裁判で親として、ではなく1人の人間として裁かれるのです。「子供は親の所有物」ではない、ただ一番近い大人として育てる義務はあります。もしその義務が果たせなければ他の大人にお願いするしかありません、自分で殺めるなどもってのほか。

また大人の義務として子供の教育があるのではれば、近所の子や他人の子が正しい道にいくことも私の義務になります。人は他人との関わりを拒絶しては生きてゆくことができません。自分の子は自分の子、他人の子は他人の子ではなく、1人の大人として、社会の一員としての子供として意識をしなくてはいけないと思いました。自分の子ではなくとも立派に育てられている方もたくさん知っています。子育ては大人の大切な仕事、無償の愛だと思います。子供は子供自身のもの。残念で悲しいニュースはこれっきりにして欲しいと心から祈ります。

株式会社Robin 代表取締役 蜘手健介
↑トップへ戻る