今から10年ほど前、私はある青年経営者の思想と行動に関心を寄せていた。

それはワタミの渡邊元社長である。渡邊氏の代名詞は「夢に日付を入れる」。彼は多くの書籍を発行し、私は20代の頃、その影響を受けた。

「手帳にやるべきこと、やりたいことや夢を描いて、実現したら赤で消す」

そんな手帳まで発売されて私も購入をした覚えがある。

当時の渡邊氏は理想主義者であった。そしてその理想は明確であった。

「〇〇年までに売上〇〇」「全世界に〇〇店舗」

その理想に共感し共に叶えようと多くの社員が入社をしたのだと思う。渡邊氏の哲学に惚れ、その様になりたいと思った人もいただろう。しかし2006年に介護事業に進出し(2015年に同事業は売却)2010年頃から拡大戦略に陰りが見え始めた。2011年の震災以降、その傾向は顕著になってきた。

渡邊氏はそれまでの理想の礎であった拡大戦略についての方針変更を発表。「質への転換」を口にした。

理想主義から現実主義への大きな転換であったのだろう。私が思うに、理想を追い求めてきた社員は急に現実に直面をすることになったのではないだろうか。

夢を実現するために犠牲に我慢をしてきた現実。犠牲なく夢が叶えばいいがそこまで世の中は甘くない。理想主義から現実主義へ。時間と共に社員の人生や働き方などに焦点が当たる様になった。理想を追うことで犠牲としていた現実問題が、まるで魔法が解けたかのように一気に噴出してきたように感じる。

強烈で際立った理想主義であったが故に、その歪みはなかなか収まりをみせていない。

国家に支える官僚や国会議員も理想主義者であってほしい。理想の国家や国作りのために24時間、世界と交渉し、政策を作り、実行をし国民の声に耳を傾けてほしい。理想を実現するために多少の犠牲は必要だ。国民の1人1人にその理想を実現するために説いていく。官僚や国会議員が強い理想主義であれば国民は納得をして行動するだろう。

しかし現在の官僚と国会議員の多くは現実主義であるように見える。現実である“今”がどうであるかが第一となっているように感じる。

利権を見つければそれを利用し、保身を図る。誰も身を切ろうとしない。現実主義者は今を大切にし、現実的な未来を選択するものだ。昇進のために必要なことはするが、それを阻害する様なことはすることはない。トップが現実主義者であれば、部下に理想主義者がいればそれを潰す。「余計なことはするな」と戒めるだろう。現実主義は冷酷だ。自身の現実を邪魔する者は左遷させることもあるだろう。

国作りには大きな理想が必要なはずだ。しかし今、国家全体が現実主義となっているのではないかと思う。少子高齢化の心配だが、現実である今と自分、そして自分の家族のことが心配。そんな思いを持つ官僚や国会議員が理想を追い求めるわけがない。

理想主義者と現実主義者。常にそれはすれ違っている。

人の問題で悩む経営者が多いが、問題なのは人の問題ではない。人の問題が連鎖をして止まらないことが問題だ。次から次へと連鎖して起きている場合は人の問題ではなく、社員に歪みが入っている可能性がある。

○年に○○と理想を掲げてそれに向かっているが、実は役員は身内ばかりを登用している。

働き方や楽しい職場だったのに、組織ができて目標ができ、数字が仕事の目的になっている。

「社長のことが好きだけど、今の職場は好きになれません」

そんな声が上がっていることはないだろうか。

経営者は理想主義者でも現実主義者でもいい。ただ理想主義と現実主義の切り替えには大きな痛みを伴うことは覚えておいた方がよい。するとそれは歪みではなく会社の転換期なのだと理解できる。

米国の次期大統領のトランプ氏は強烈な現実主義者だと思う。彼が大切なのはトランプ氏自身とトランプ氏の家族。そして自国民だがまずは白人という様に極めて現実的である。世界の秩序や環境問題などまるで関心がない様に見える。しかしそうであってもなぜ彼が支持されているのか?

それは現実主義者であることを包み隠さず公表していることだと思う。ここで彼が崇高な理想を求め世界の秩序に関心をもち、能力に関わらず側近を登用し、それに向かって馬車馬の様に働き出したらどうなるか?ホワイトハウスは大きな歪みが生じ内紛、不正が横行するだろう。もっともそうであればトランプ氏ではなくともよいという選択になるだずだ。

理想主義と現実主義は常にすれ違っている。歪みか転換期か。いずれにせよそれは必然なのだろうと思う。


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