直感を裏切る数学

蜘手です。久しぶりにコラムを掲載します!

直感を裏切る数学

 「プレイヤー(回答者)の前に閉じられた3つのドアが用意され、そのうちの1つの後ろには景品が置かれ、2つの後ろには、外れを意味するヤギがいる。プレイヤーは景品のドアを当てると景品をもらえる。最初に、プレイヤーは1つのドアを選択するがドアは開けない。次に、当たり外れを事前に知っているモンティ(司会者)が残りのドアのうち1つの外れのドアをプレイヤーに教える(ドアを開け、外れを見せる)。ここでプレイヤーは、ドアの選択を、残っている開けられていないドアに変更しても良いとモンティから告げられる。プレイヤーはドアの選択を変更すべきだろうか?」

(モンティホール問題:ウキィペディアより)

これはモンティホール問題といって確率値に関する問題の1つで、1990年代に数学者を交えて大論争になった問題だ。考えれば考えるほど面白いが直感がいかにアテにならないかを教えてくれる。

 面白い本がある。「直感を裏切る数学」(神永正博著)

この本は数学者である著者が私たちがつい思い込んでいることを数学を用いて解いている本である。モンティホールの穴も数学的見地からわかりやすく解説してあった。

その著書の中に面白かったものが例があるので紹介したい。

「あるクラスに23人の生徒がいる。彼、彼女らのうち同じ誕生日の人がいる確率は何%か?ただしうるう年は考えない」

1年は365日あるわけだから、簡単に同じ誕生日のクラスメイトがいるというのも考えにくいが実は50.7%もあるとのこと。1日違いでいえば88.8%の確率だという。これをバースデーパラドックスというらしい。そういえば弊社社員の中でも同じ誕生日がいる。偶然だと思っていたがバースデーパラドックスでの計算でいうとあながち意外に高い確率なのだろう。

「地図上で隣り合う国々を違った色で塗り分ける。この時、何色あれば十分か?」

実際に塗ってみると5色であることは証明されるらしいが、答えは4色。これは4色問題として有名だが私は説明を読んでも簡単に理解できる内容ではなかった。

そのほかにも不景気なのに平均所得が上がっている理由やレジが2つになれば行列は半分になる?なぜマンホールのふたは丸いのか? 平均寿命より長生きできる人は全体の半分だけかなどを数学者として解説しており非常に面白い。著者は前書きに以下のように書いている。

「登っていくにつれて、下にはいたときには見えなかったものが見える(カルロ・ルビア 素粒子物理学者)」私たちは先の見えない時代を生きています。少子高齢化、エネルギー問題、社会秩序の崩壊。一見離れているかのようにみえる現実社会と数学の世界。しかしどちらの問題も常識にとらわれていては解決することができないという意味で同じ困難を抱えていると思うのです。(以上ここまで)

これまで私たちは前例主義と慣例習慣の中で生きてきている。しかし今、世界や私たちの周りは誰も答えを持っていない時代に突入していると感じている。答えのない時代だからこそ自らの直感(も大事だと思う)も大事だと思う一方で刺激になった1冊。しかし本なんて久しぶりに読んだ気がする。

著書には「アークサイン法則」というものもあった。これは真性の乱数をランダムウォークにて解析したデータと分析で証明をしている。アークサインの法則というのは偶然プラスの側に移動するとプラスが続きマイナスに移動するとマイナスが連続するというもの。ゲームでいえば勝ちが続く時には負けにくく、負けが続くとなかなか浮上できないということになる。企業や組織においても勝ちグセという言葉がある。またV字回復を実現する企業もあるが、実際は目の前の道を牛歩での歩みとし大切にするしかないのだろう。業績も社会においても一気に解決することはない。数学はそう言っている。


サイコパスと隣の日常

ロビンは昨日は2月の営業締め日でした。契約目標には及びませんでしたが、それでも最低限の数字は作ることができました。底堅さや私たちが取り組んできた改善が実ってきたと実感しています。私たちの指標である集客案件は過去最高の2ヶ月連続で更新しました。春近し、、でしょうか。

Robinの蜘手です。

さて3月ですね。飛騨高山ではまだ季節外れの雪は降るものの根雪は溶け始め街はうっすらと形を現します。毎年、悩まされる花粉症対策も済ませましたし(注射ですが)、体を動かしやすい季節になりました。

しかし川崎市での少年事件は心が痛みますね。親の立場からすれば被害者の親にも加害者の親にもなりたくないというのが本音です。

先日、名古屋大学の女子学生が「人を殺してみたかった」と老女を斧で殺した事件がありました。完全に住む世界が違うサイコパスはいつの時代にもいると感じた事件でしたが、この事件は残忍性はあるもののすぐ隣で起きている出来事の延長にも感じました。

18歳になる半分大人である青年が、まだ子供である中学1年生を相手に遊んでいることに異常さを感じますが、、、、

犠牲となった少年のご冥福をお祈りいたします。