今日はクリスマス。ということで昨年ですが書いたコラムがありますので転載します
Robinの蜘手です。
「本当にサンタクロースはいるの?」
小学校4年生の長女が心配そうな顔で私に聞いた。サンタクロースの正体を知っている中学校1年生の長男は横で苦笑いをしていた。
「じゃ、プレゼントのお願いした紙を誰にも見せなくても大丈夫だよね?」と娘はいう。
どうやら学校で友人の誰かが、サンタクロースの正体は親ではないか、と言っている子がいるらしい。
話を聞いているうちに、娘もサンタクロースって実際にいないのでは、、、と思いはじめたのだろう。
クリスマスの夜も当然、家に鍵がかかっているし、自宅には煙突がない。それなのにプレゼントがクリスマスの朝にはベッドの脇にある大きな靴下の中に入っているのだ。
それも自分が欲しい!と願っていた思っていたそのプレゼントが!
今年は本当にサンタクロースがいるかどうかを試すという。本当にいるのならサンタさんは何をお願いしたか分かるはずだと言うのだ。
これは弱ったものだ。何をお願いしたかわからないのだから、私はプレゼントを買うことができない。
「きっとサンタクロースも忙しかったのだろうね」と全く違うものを用意するか。いっそのことサンタクロースの正体を明かすべきか。
その様を見ていた長男は苦笑である。「親も色々と大変だね」とそんな顔をしていた。そう親は大変なのだ。分かってくれるか?
サンタクロースはいる
クリスマスはやはり特別だ。
街のイルミネーションが装いを変え、テレビや音楽も一色に染まる。
飛騨高山では雪がしんしんと降り積もり辺りが一瞬に銀世界になる。
赤と白で身をまとったサンタ クロースが私たちが寝ている間にプレゼントを枕元に置いていってくれるなんて、想像するだけでワクワクする。
「私たちは幸せになるために生きている」
実際にいるかいないかなど問題ではない。一夜であってもそ のような夢を見ることができるのがクリスマスだ。いつか子供たちもサンタクロースの存在がリアルではないことを知るだろう。
しかしそれでもサンタクロースはいる、と信じた方が幸せに生きることができればそう信じることの方が素晴らしい。私たちは夢を見ているだけでは生きることはできないことも知っている。
それでも夢を見てそれがいつか実現することに心を傾けることができるのであればそれは羨ましい生き方ではないか。
現実を見ることも重要だ。しかし夢がない人生は辛い。夢を見て生きていたいと思うし子供たちにも夢をみて素晴らしき人生を歩んでほしいと願う。
娘には今年はサンタクロースの正体を明かさないようにした。いつかわかる日がくればそれでいい。
クリスマスの朝、大きな声で喜ぶ姿。サンタさん、有り難う!と空に向かって喜ぶ様。私にとってそれを見ることができるのがクリスマスプレゼントである。
皆さんも素敵な夜を。