Robinの蜘手です。
「恕する」という言葉があります。
論語を解説した本を読んでいると、仁、義と同じように数多く”恕”という言葉を目にします。
先日、竹田和平さんのところで訪問しお話を聞いたときにも”恕する大切さ”をとても大切にされていたのが印象的でした。
義理を重んじること。
思いやりをもって接すること。
いわゆる義と仁は私たちの今の状態でも実践が可能ですし、経営者としてそうありたい、と思っています。
しかし”恕する”ということは難しい。
その大切さがわかっていても難しい。私がまだ未成熟で子供だからでしょうか。
相手の許す心、こういえば簡単ですが現代社会において、特に競争社会における私どもにとって耳の痛い話でもあります。
もっとも今の社会全体を覆う”心の複雑化”の時代、世の中が”復讐社会”になっているような気さえします。
マスコミもその1つかもしれません。
ネット社会になりよりその色合いが濃くなってきています。
竹田和平さん曰く、
「仕返しをしたところで、仇をとったところでマイナスのエネルギーに包まれるしかない」
さすが徳を重ねてらっしゃる方の言葉は重みがあります。
エネルギーは高いところから低いところに流れるのが自然法則である、とすれば、マイナスからプラスに転じることは相当のエネルギーが必要であり、そこにはマグマのような怒りさえ必要になります。
戦後、日本が何もない焼け野原から、たった10年たった昭和30年代、
「もはや戦後ではない」といった状況になるためには
「絶対に豊かになってやる」といういわば今ある環境への復讐、といったエネルギーだったのかもしれません。
もっとも30代である私が”恕する”という境地に達するにはまだまだ早いですし、必要ないかもしれません。
しかし複雑な時代だからこそ、プラスエネルギーに包まれるためには”恕する”という心が一番、必要なのかもしれません。
まだまだ未熟な私たちは、
「人を責むるの心を以って己を責め、己を恕する心をもって人を恕せ」からですね。
いしまるさん
耳が痛い、コメントです、、、
コメントを追加