今日の飛騨高山は曇り模様です。Robinの蜘手ですこの1週間、仕事初めから引き続きバタバタしておりました。11日には東京にてオクタ社の20周年記念に出席。そのままとんぼ返りをしてシクミ研究会を2つ。昨日のうちに高山へ。「ブログ、更新されていませんね。お忙しいのですね」 ま、そうゆうことにしておいて下さい。昨日までの2日間はシクミ研究会でした。通常の出張や業務ならまったく問題ないのですが研究会はずっと話通しですから、体の芯までクタクタになります。(しかし今朝は早くから弟と写真を撮影しに行ってきました。午前のうちには帰ってきましたが。)研究会の方は1月ということで少し重い話ですが、人生とは、ということに通ずるような私の価値観をお話しました。前のブログにも書きましたが、「企業の目的は?」と10人に聞けばさまざまな答えがかえってきます。顧客満足、社会への貢献、未来への活動、自己実現や理念の実現など経営者の価値観によってその企業は目的を定めています。P・ドラッガーは「顧客の創造」といっています。それも1つの目的でしょう。私たちの労働集約型の仕事の場合、企業とはすなわち「人」をさします。人の集合体は組織。ということは企業=組織といっていいでしょう。組織の活動の目的は企業の目的と同義になるということです。その組織を2つに分けると、経営陣と社員になります。そのどちらとも同じ目的を持ち、仕事をするですが、その<仕事の内容>でいえば経営者と社員にははっきりと違う責務があります。それは「経営者は人を育てなくてはいけない」ということです。人を育てる、これに経営者は力を注がなくてはいけません。もちろん経営者自身も社員から学ぶこともあるし、全てに優位なわけではありません。ここでいう育てるというのは高見から言っていることではありません。弊社ももがいています。山積する問題を抱えつつも、社員1人1人がたくましく成長するようにと願っています。社員の問題はすなわち、私の問題です。社員の成長を求める、ということはより一層、私自身の精進が必要だということ。私の能力は決して高くない。だから学び続けなくてはいけないのだと思っています。私は20代、半ばにこう教えて頂いたことがあります。<蜘手くん、自分だけの人生は一世、親子は二世の繋がりになるんだ。しかし師弟は七世、いわゆる永遠に繋がることになるのだよ>師弟の関係とはここでは経営者と社員を意味します。<師弟の間には教育が入る。教育に必要なものそれは「尊敬」だ>経営者は常に尊敬に値する立場であらねばならない。裏を返すとせめて<がっかりされるような>言動はすべきではない、という生き方を問うことになります。尊敬できない経営者、尊敬できない先生、尊敬できない親、、、。世の中の師弟の師であるべき人が尊敬できない、これほど不幸なことはありません。そうなると尊敬しないものに責任があるのか、それとも尊敬をさせない親に問題があるのか。企業の目的を実現するためには、経営者自身の身の置き方、生き方が問われるということだと思います。<人生が素晴らしきものであってほしいと願うのであれば、青い鳥が実際にいるかいないかは問題ではない。いると思った方が幸せならそれでいいのではないか>生き方が問われるということになると、それはどうゆう意味を含むのでしょうか。こんな計算があります。大学を卒業後、60歳まで勤めあげた場合の時間 (60歳-23歳)×(365日-95日休日)×8時間=約8万時間60歳からま、だいたい死ぬであろう80歳までの自由な時間(80歳-60歳)×365×11時間(そのくらいの時間が空くでしょう)=約8万時間そうです。実は仕事を辞めてしまって<ただの人>になった時の時間は、命をかけて魂を燃やして熱中して仕事をする時間とほぼ同じなのです。老後などというのはとんでもない、仕事を卒業するだけのことでありとんでもなく長い時間が残されています。企業の目的だの、組織の目的、働く理由などと今の問題をひとくくりにするような議論をしたところで、もっとも大切なことが抜けている、それに気づきます。それは「人生の目的は何だ?」ということにほかならないのではないか、そんなことを考えています。ただ生きることが目的ではないと思います。運命に向き合うことも決してやさしいことではありません。カルマとは、宿命とは、自分が生まれてきた理由とは、、、、<優しさは罪悪感の裏返し>そんな話をさせて頂きました。今まで人に迷惑をかけ、ロクでもない人生を歩んできたからこそ仕事を通じ、多くの人に役に立ち、喜んでほしい。私の人生の目的は何でしょうか?皆さんにもきっとあると思います。私も引き続き、深く考えていきたいと思います。