セルロースファイバーによる自然素材住宅 一級建築士事務所ロビン 岐阜県(高山市)愛知県(名古屋市)
 
 
アーカイブ  2010年04 の一覧
 
2010年 04月 29日

先日書いたジャイアンツの木村コーチのNPBの新人研修の講演内容をジャイアンツのオフィシャルサイトで見つけました。

NPB新人研修 木村拓コーチ講義内容 


「今、みんなは希望にあふれて「レギュラーを獲って生き残ってやる」と思っているだろうが、必ず壁にぶつかる。そんな時、少し言葉で考えると、僕みたいに生き残れる。ざ折してあきらめるのか、そうでないのか、自分で考えないといけない。
 
 そして34歳の時、トレードでジャイアンツに来ました。広島が若手選手への切り替えを図っていて、僕は出場機会が減りそうだったのですが、子供はまだ小さく、家のローンも残っている。「トレードに出してください」と球団にお願いしたのですが、決まったのが(戦力が充実している)ジャイアンツ。「出番を求めているのに、何でジャイアンツなんだろう」と思いましたが、入団してみると、けが人が続出してチャンスがもらえた。
 
 最後にジャイアンツに入って、3連覇や日本一を経験し、勝つ喜びを知った。今までは自分の事だけを考えていました。プロ野球選手になると自分が成功するために、どうしても自分の事ばかり考えてしまう。しかし勝つ喜びはものすごくて、言葉では言い表せない。みなさんも、自分が活躍して優勝するんだという気持ちを持ってほしい。
 
 自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。「レギュラーになる、エースになる」だけではない。巨人の藤田宗一投手は、中継ぎ登板だけで自分と同じ歳までやっている。それで飯が食える、それがプロ野球。「俺が一番うまい」と思って入団して、一番得意だった事がうまくいかない。それもプロ野球。その時にあきらめるのではなく、自分の話を思い出してほしい。投げ出す前に、自分自身を知って可能性を探るのも必要ではないか。」

あきらめた時に真価が問われる、、、ということでしょうか。
ご冥福をお祈りいたします。


2010年 04月 28日

今日の高山は雨のち晴れでした

雨後の空、芝の雑草抜きもこれまた楽し。

Robinの蜘手です。

今日は息子と娘の通う小学校での授業参観日とPTA懇談会ということで、今年は長女のクラスの役員になりましたので行ってきました。

今、4年生になる長男と今年入学の長女がいます。

私もその昔、通った小学校です。当時から何も変わっていない教室もそして空気も懐かしく、また同じ地元ですから知っている顔もチラホラ、、、子供たちを見ながら昔を思いだしていました。

感謝することも、親の苦労もなーーんにも知らない、、、(あの時期はそんなことよりももっと毎日が駆け足だった気がしますが、、、)時代だったと思います。

授業参観をしていてる時、子供を見ながらいると昔の出来事を思い出しました。

私の父親は蜘手電気という会社を興し(今も会長職で現役です)、経営をしていました。
今でこそそれほど現場作業はしませんが、当時は10名たらずの工事会社でしたので、社長といえども当時は現場へ行き作業や監督などをしていたと思います。
時代も右肩上がり、忙しかったのでしょう、いつもクタクタでした。

母親も家業の事務という形で仕事を持っていましたが、授業参観はいつも母の役割でした

ある時、私は父親に「どうして授業参観に来てくれないのか?」と言ったところ、「仕事が忙しくてそれどころではない」と言われ、子供心ながらに「あーそうなんだ」と思ったような気がします。
忙しくしている父を誇りに思うところもありましたがさびしい気持ちも湧きあがりました。

「でも行ける時があれば、時間に都合をつけて行くようにするよ」

ある授業参観の時のこと。

いつも参観には母が来ていました。しかしその日はなかなか姿が見えませんでした。
お母さん、来ないのかな、、、と思っていたところ、父の姿が見えました。

その日は都合をつけて父が来てくれたのです。

来てくれたんだ!と思いとてもうれしい気持ちになりました。

忙しい父は、その時の仕事を抜けて駆けつけてくれたのです。

ですから作業服を着ていました。

私はいつも見慣れた服装でした。何とも思わなかった私でしたが、友達に「蜘手のお父さん、作業着じゃん」と言われたのです。

それから、なんだか恥ずかしい気持ちになったのかもしれません。(子供ですからね、、、)
そういえばほかのお父さんは誰も作業着など来ていませんでした。

(作業着か、、、)

その日の夜、私は父親にこう言いました。

「作業着なんてカッコ悪いじゃん」

どうゆう気持ちだったのでしょうね、うまく説明ができません。
本当に作業着が嫌だったのか、それとも友達に言われ恥ずかしかったのか。
本気でそう感じていったのか、話の流れでついつい言ってしまったのか、、、。

今、思うととても残酷な言葉だと思います。
来てほしいという子供のため忙しい仕事を抜けて来てくれた父に対し、そんなことを言うのは。

父親は少し寂しそうな顔をして子供の私にこう言いました。

「そうか、ごめんな。でもお父さんはいつも子供や家族のことを思ってこのカッコで仕事をしているんだよ。きれいな服や背広もいいけど、お父さんにとってはこれが制服なんだ。今、わからなくてもいつかわかる日が来る。働く姿にカッコ悪い服装なんてないんだよ。これはお父さんの制服、だからお父さんは何も恥ずかしいことなんてないよ」

その時、どう感じたかはちょっと覚えていませんが悪いこと言っちゃったなとお思った記憶があります、、、じゃないと今まで覚えてるわけないですね。
「ごめんなさい」、、、と言ったかどうかも定かではありません。たださびしそうな顔をした、というのは覚えています。

仕事って大変なんだな、きっと一生懸命、みんなのこと思っているんだな、とそう思い、少し父のことが分かったような気もしました。
やっぱうちのお父さんはすごいんだ、と子供は誰しも思います。立派な父親であってほしいと願うのです。

それからというもの、、、、

父は参観日にはだれにも負けない背広を来てくれました。(それも悪いなーと思った)

あー今でも思い出しますね、私も40歳近い、オッサンなんですけどね。

子供には子供の人生があります。子供は親の所有物ではなく子供自身のものです。
うちの子供もこれからいろいろなことを思い、いろいろなことを考え集団生活の中で感じることもあるでしょう。

親に誇りを感じる瞬間もあると思います、またそうでない時もあると思います。
そのたび、子供の感じたことに蓋をせず話合いができたらな、と感じました。

恥ずかしいことや悔しいこともいっぱいあると思います。
あの時に父親に怒鳴りつけられていればまた違ったのかもしれませんが、自分で考えなさいということを父親は重視してくれたと思います。

親になって気がつくこともあります。参観の最中、子供の姿を見ていると、当時の自分にも同じように後ろには父親と母親が温かい目で見てくれていたのだ、と感じました。

「何も心配していないから、どんどん好きなことをやりなさい」

いつもそう言ってくれていました。もうすぐ連休ですね、、、、、親孝行しなきゃなー。

私もこの先、どんな親になってゆくのでしょうか。

でもあの時は本当に悪かったな、、、、すまん、親父。いつも心配かけてます、、、、、

また、ゴルフ誘うからな、勝負しようぜ。

まだまだ元気なうちの父と母、いつまでも元気でいてくれよー、、、雨後の空に思った次第です。


2010年 04月 26日

先日の土曜日、協力業者さんであり、私のスキーの先生でもある杉山板金さんの御子息の結婚披露宴に出席してきました。

で、新郎へ向けてのそれぞれのコメント、、、

新婦の席次表でのコメント 新郎に求めること「もっと話をしてほしい(無口だから)」

司会者の本人紹介 「新郎は口数も少なく、、、」

友人のスピーチ「博人くんは本当に無口で、、、」

母親のコメント「こんな無口な子と結婚してくれて、、、」

ケーキカット後の新婦のコメント代読で「あまりにも無口でケーキのような甘いものが苦手だと最近、初めて知った」

、、、、どんだけ、無口なんだよ!突っ込みを入れたい場面がありました。

Robinの蜘手です。

とにもかくにも、おめでとうございました。

さて、人生いろいろです。嬉しいこともあれば悲しいこともあります。
嬉しいからといっていつまでもうかれてはいれられませんし、悲しいからといっていつまでも沈んでいるわけにもいきません。

世の中で起きることはすべて必然、、、、受け入れて生きてゆくしかないのだと思います。

ジャイアンツの木村コーチが急死されたくさんのメディアでも報じられていました。38歳という若さでのこと、私が今年39歳ですから体のケアにも怠りなくと思います。

この木村コーチのことを思い、ある人から教えてもらったことを思い出しました。

「人は生きて伝えることもあれば、死をもってしか伝えられないこともある」

輪廻転生、肉体は絶えども魂は転生をするという考え方があります。
現世に生きる私たちにとって肉体の消滅は大変な経験ですが、魂にとってみればそれも1つの転生なのかもしれません。

「子供は親を選んで生まれてきます。親は子供を選ぶことができません。すると私どもの子はなぜ私どもを選んだのか、という理由があります。
虐待され死に至る子供がいます。その子供は大変不幸ではありますが、実はその魂はそれを知ってその親を選んでいるのです。
生きてメッセージを残す魂もあれば死をもってしかメッセージを残せない魂もあるのです」

私は深くこの意味を考えていました。

「ではなぜ、私の魂は私の親を選んだのですか?」

「それが自分の人生の意義を解くキーワードなのです」

木村コーチは小さい体ながら19年という間、第一線で活躍をしたプロだと思います。
それも近年はジャイアンツという選手層の厚いチームでの活躍ですからやはりすごい選手だといわざるをえないでしょう。

あきらめるもんか、あきらめたら終わりだ。
自分が思った通りにならないのが人生、だからあきらることはできない。

木村コーチが生きていればこの言葉、彼の人生も深く人に感動を与えることになっただろうか、、、。

引退後、バラエティー番組で第2の人生を送る選手もいれば、こうやって死をもって人々の心に響くことを残す選手もいる。
人生、いろいろだと思います。

世の中の出来事はすべて必然、私はこの木村コーチの死で何を学べるだろうか、、、と考えました。
そしてこれは木村コーチのご長男が始球式をしている映像を見て、思ったことがあります。

「私ははたして子供が憧れる親だろうか?」

子供が夢に見る職業でプロ野球選手やサッカープレイヤーなどスポーツ選手というのが多くあります。
これはなぜだろう、と考えたところある1つの答えに行きつきました。

「夢を語っているか」ということです。

スポーツプレイヤーは勝利、優勝、タイトル、五輪などある目的のために生きています。

「次は世界を相手にプレーをし、勝利したい」など、自分の夢をTVでよく語っています。
きっと子供たちにとってみると、無我夢中で頑張っている、夢を持っている人は美しく映ることでしょう。
木村コーチもきっと子供にいろいろな夢を語っていたのだと思います。

夢を語る、、、キラキラした人生を語る、、、

では私たちはどうでしょうか。
家庭で夢を語っているでしょうか?会議や仲間うちではそうであっても家の中で夢を語ることは少ないのではないでしょうか。

もっともっと語っていいのではないか、と思いました。

多くの人はそれぞれの環境や今あることに対し、不満や不安ばかりで到底、夢など語れないよ、と思われるかもしれません。
しかし子供にとってみるときっと親もスポーツ選手もそれほど変わらないのではないかと思ったとき、夢のある人生だからあきらめないんだ、という強さも生むのではないかと思います。

強い子供になってほしい、あきらめないタフさを持ってほしい。それにはもっと夢を語り実現することの素晴らしさを語らなくては、、、

私が木村コーチの死をもって教えられたこと、考えたことはそんなことです。自分に降りかかったことでなくとも「すべて必然」と考えることでまた魂は磨かれます。

多くの方に幸あれと、木村コーチは伝えたかったのではないか、、、、そんなことを思う今日この頃です。


2010年 04月 21日

わがムスメ、今年から小学校なのですが、長男の一年生の時と同じようにPTAの学級代表に当たりまして、、、。

Robinの蜘手です。

お声をかけていただいた方もおられましたが、私の長年の相棒のノートPCの代替えがきましたー。
メールの設定(私はサンダーバードを愛用)やデータの移行などかなりの時間がかかりましたが、仕事ができるようにはなりました。
新しいPCは衝撃にも強いPanasonicのレッツノートです。これで出張も安心。

でもPCも変えるとなると使い慣れたものを手放す寂しさがあったのですが、先日、こんな会話を聞きました。

「先輩、またPC変えたんですね、前のは何年使ったのですか?」

「5年だよ、今は2もすれば5倍の能力のPCで半分の価格だからな」

、、、、そーなんか!もっと早くしっておけばよかった、と後悔しましたが、確かに新しいPCの早いこと、早いこと。

これで今後はブログもちゃんと更新できそうです、、、それとは関係ないか。

話は変わりますが今、HPも新しく制作中です。担当の倉畑曰く、「6月にはオープンしたい」だそうですが、原稿もかなり書かなくちゃな。
ということで頑張ります。

HPといえば、オーナー様からの声ということで掲載しています。
http://www.e-robin.com/owner/index.html

うれしいですね、こうゆう声を聞くと。

この仕事は属人的な要素が大きく、まさしく人と人、、、心と心のやり取りが多くを占めます。
励みになるということはこのこと、有難うございます。

しかし良いことばかりではありません。先日も施工レベルの問題でやり直しや打ち合わせの行き違いによる手直しやフローなど改善すべき問題も多くあります。
細かい改善ばかりを進めると大きな目的や使命を見失います。これは細かい仕様を重要視し、全体調和がとれていない住宅のように「大きな目的、大きな幹」をどうとらえているか、、、これも経営者の仕事だと思います。

「これでいいのだ」というところへ行くにはまだまだ道険し、山高し、ということです。

良いこともそうでないこともオープンに包み隠さず、、それも私たちの仕事です。


2010年 04月 17日

 先日、開催された毎月恒例のシクミ研究会ですがなんと!!37回目ということで4年目に突入したことが明らかになりました。
もう3年もやったの??

1.成長していないねー
2.成長したねーーー

どっちでしょうか、笑??

Robinの蜘手です。

先日、仙台で1件の設計契約がありました。

計画から詳細までの設計業務はRobinにて行い、工事請負契約はディーラー店のスタップ社にお任せすることになります。

お客様、設計のRobin、施工はディーラー店という3者で進めるケースとなります。

また偶然にもNETにてRobinを知ったという仙台市郊外で無料カウンセリング希望の方がおられ、ご相談を承ってきました。
こちらも計画、設計に入るということで順調に進めば、先の物件のように進むと思います。

これまではRobinでは設計、施工というのをワンセットというのがごくごく当たり前でしたが、今後はこのように設計・施工の分離が多く出てくると思います。
というのはRobinのコンセプトは「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャン」(古いか、、、)、とはいわないものの、岐阜、愛知以外の資料請求が多くあり、また設計に関するお問い合わせも多く頂いていることもあります。
また「工事は他に依頼をしたいが、設計は、、、」という声も聞きます。

住宅新築やリフォームの設計に力を入れている弊社にとってみると、設計だけの依頼もWELCOMEですのでご安心頂ければと思います。

「仙台の地にRobinの風が吹く」、、、私も期待しています。

またリフォームにも今後、この流れになるかもしれません。デザイン設計はRobinが行い、施工は別の業者が請負う。

友人が工務店をしている、お付き合い上、頼まざるをえないからRobinには依頼できない、とあきらめていた方には朗報になるでしょうか。
この場合でも仕様、デザインは全てRobinとお客様が決めていきますので、Robinのデザインとなんら変わらないものになります。
もちろんそれぞれのメリット、デメリットはあると思いますが、本来は設計、施工は分離した形が自然という気もします。

コスト面がどうだ、という問題を除けば、わざわざ第3者機関を入れなくても設計管理で検査も十分に機能するはずなのですが、設計、施工の場合はどうしてもその辺が甘くなりがちです。それは否めません。

今日は高山本社主催でリフォーム相談会を開催しています。
名古屋店では相変わらず、朝からカウンセリングや打ち合わせ、設計契約、工事契約のお客様の足が途絶えず、また上棟、地鎮祭準備と目一杯の動きになっています。

どうもスケジュール上でいえば、すぐのご契約を頂いても9月以降の着工になるのではないでしょうか。
そのような意味でいえばRobin直営の施工より、第3社の施工の方が着工が早いかも、、、。

ま、というわけで全国各地の皆さん、どしどし新築でもリフォームでもRobinに設計依頼をしてください。まずは無料カウンセリングのお申し込みを。


2010年 04月 15日

 Robin蜘手より 皆様へメッセージ
2010年4月15日 

皆さん、こんにちは。

Robin
の蜘手です。そろそろ春の陽気が、、、という話題の時期ですが今日、15日はとても寒い1日でした。
高山祭りの昨日、今日はあいにくの天候でしたね。しかし私ども名古屋と飛騨高山を行き来するものにとっては「桜」が2度楽しめる季節ですが高山はまだまだです。
 

4月といえば新年度ということでこの季節になると私の大学の入学当時を思い出します。
私は高校時代を高山で過ごし、大学で名古屋に来ました。南区にある大同工業大学という理系の大学なのですが、アパートも決まりいよいよ1人で高山駅から名古屋駅、そして名鉄常滑線に乗り大同駅まで電車に乗り、揺られながら外をみていました。

何もかもが始めて、そんな青年には窓の外の桜が新鮮でした。 

「桜ってこんな色しているんだ」

知っているはずの桜の色がやけに鮮やかに写ったのです。

何も知らない土地へ来た期待感と初めて親元を離れる不安と入り混じったなんともいえない高揚感。

しかし現実、私はとにかく親元を離れたかった、というのが正直な思いでした。それまで管理されているような(よくある青春の1ページなのですが)子供扱いされているのが嫌で、とにかく自立をしたかったという思いが強く今思えば大学もどこでもよかったのかもしれません。

4年間はとにかく社会人になったらできないことをやろう、という気持ちもありました。何かにチャレンジしたかったというのは今でも変わりませんが好奇心旺盛だった青年でした。それと同時に色々な人と議論をしました。なぜ人は生きるのか、人生とは何か、生まれてきた意味は何なのだ、、、、ま、青かったのですね。しかし歳を重ねるにつれ青臭い時代にしっかりと青臭いことをやってきたのはよかったのだと思います。アングラな世界も見ました。キレイごとじゃない世界も見ました。とても子供に誇れる仕事じゃない仕事も見ましたし、経験もしました。

今となっては良い思い出、全て糧になっていますのでお許し下さい、笑。
中身の濃い4年、結局大学を卒業ししばらくした後、実家である高山に戻ることになります。
その4年間で少しは親のことも理解できましたし、理解しようと思いました。今では私も親になりました。

「将来は人に喜ばれる仕事をし、高山でしっかりと基盤を作ってからまたこの名古屋へ戻ってきたい」

あれから約20年経ちました。

おかげさまで皆様にご迷惑をおかけしながらもRobinの名古屋店は今年の予定は埋まっている状況です。

また道半ばですので特に感情はありませんがこれまで順風だった、、、わけではありませんでした。むしろ苦しかったことしか覚えていません。

名古屋店の経営が厳しかったことがありました。全て私の判断間違いなのですが、社員に相談しようにも皆、若く負担が大きすぎました。

何をやってもうまくいかない時期はさすがに弱気になります。
それに追い討ちをかけて本丸である高山本店の売り上げも厳しい状況になっていました。

そりゃそうです、売り上げの6割をやっていた私が営業を離れたのですから、判断も甘かったと思います。

「もう名古屋店を撤退しようか」と考えた時期がありました。

その時、特に用事もなかったのですが「そうだ」と常滑線の電車に乗ってみたのです。

確かこの季節でした。

常滑線、電車の窓から見える桜はあのときのままの桜でした。

「桜ってこんな色しているんだ」

揺られながら18歳当時の高揚感が心に戻りました。

「よし、どうせ駄目でも前向きに倒れよう」思いが変われば不思議と縁を頂きました。
捨てるべきものを捨て方針もガラリと変えました。

今思えば当時は誰かの真似事ばかりを求め「お客様は何を求めているか、私たちは本気でそれを提供しているのか」をやろうとしてなかったのだと思います。
あれから年月が経ちまだまだ発展途上ですがやってきたことがのボンヤリが確信に変わりそれが現実になってきています。

自立心を求めた青年の「桜」は今も心の中に咲き誇っています。

あの時に常滑線に乗っていなければ今の私はなかったかもしれません。
私の青春はまだまだ続いているのかもしれません、、いや終わりなき青春、悩みは尽きぬ、、、そんな今日この頃です。




2010年 04月 08日

今日は花粉満載の1日。本店にて月に1度の業務改革会議でした。

Robinの蜘手です。、

よかれと考えてとった行動が決して正しいと思われず、相手に理解を得られないということがあります。

先日、NHKの番組で外国での大学の講義風景をやっており哲学青年だった私にとって懐かしい話が出てきたのでご紹介します。

道徳的のジレンマ(ウィキペディアより) 

「暴走するトロッコのレールの先に5人がおり、逃げる暇はない。途中で分岐があり、その先には1人がいる。テッドは線路の分岐を切り替えることができる。
切り替えれば5人は助かるが1人は死ぬ。テッドがポイントを切り替えることは道徳的に見て許されますか? 

暴走するトロッコのレールの先に5人がおり、逃げる暇はない。レールの上に橋が架かっており、テッドはその上にいる。
テッドの隣には太った人がいて、その人を突き落とせばトロッコは止まる。テッドがその人を突き落とすことは道徳的に見て許されますか? 

どちらも1人が死んで5人が助かるか、5人が死んで1人が助かるという点で等しい。もし道徳判断が理性的に行われるのであれば、回答は一貫しているはずである。しかし、多くの人は先の質問には許されると答えるが、後の質問には許されないと答える(つまり一貫していない)。そして、その理由を明確に答えられない。この傾向は、有神論者でも無神論者でも変わらず[14]、西洋文明とほとんど接触のないカリブのクナ族(トロッコはカヌーに置き換えられた)でも同様であった。」

これは文章ではピンとこないかもしれませんが、情景豊かに話をすると面白いので今日は全体会議で社員に話をしました。(哲学的議論の題材のためこの場合、6人を助ける方法を探すというのはありません。)

どうですか、ジレンマを感じませんか?

要は前者、後者とも1人を犠牲にして5人を助けるかどうか、という話で、結局、人も持っている道徳観というのは合理性ではなく、感情で決められるということも含まれています。
多くの人は前者の場合「1人を犠牲にするのはやむを得ない」という行動を取るというのに対し、後者では「5人が助かるとわかっていても行為として1人を殺めるということはできない」と思います。

あなたはいかがでしょうか。

この道徳的ジレンマでは、さすがジレンマというだけあって人間の行動規範というものを考えさせられます。またTV中の講義では前者を帰結主義的、後者のカントの道徳論と位置づけをし対比させていました。

帰結主義 
「帰結主義という言葉はG. E. M.アンスコムが1958年の論文「近代の道徳哲学」で用いた造語である[1]。それ以来、帰結主義は英語圏の道徳理論を通して一般的になっている。その歴史的起源は功利主義にあるが、帰結主義が登場する以前の功利主義でも、倫理的熟慮に適切なものは行為の帰結だとみなされていた。この歴史的な結びつきのせいで、両者は一緒にされてしまう。功利主義はすべての帰結主義理論の重要な形式的性格、行為の帰結に焦点を当てること、を備えた立場として理解可能である。帰結主義について基本的な枠組みの他に言及されることはあまりないが、数多くある帰結主義理論に何度も登場する問題がいくつか挙げられる。」

言い換えれば「結果優先」であり、結果から行動を規範するというものです。5人を助けることできるなら1人の命は仕方がない。分かりやすいのは戦争です。

「平和のために多少の犠牲は仕方がない」というのは平和を目的とした、という結論から導き出された行動になります。
小沢氏の行動もこの帰結主義なのでしょうか。豪腕といわれますが、「ガタガタぬかすな、黙って見てろ、オレが日本を再生するんだ!」というように。
故に権力者や力関係が上である場合などによく使われるようです。

またカントの道徳論は一言でいえば「人間とはもともと良心を持っており、その良心によって行動を規範している」というものです。

カントの道徳論 
「カントは私たちが何かをする時、「同じ状況なら誰もが同じことを望む」と確信できなければならないとした。これは『定言的命令』といわれ、何らかの目的の手段としてではなく、無条件に人間の心に生じてくる普遍的妥当性をもった命令である。この反対が『仮言的命令』で条件付きの命令である。カントによればこの命令は目的を達成するための手段として用いられているにすぎず、動機が不純なので善くないとされる。人間は理性的存在であると共に、感性的存在である。感性によって捉えられる現象界に属するものとしては、自然の法則に従わざるを得ないが、他方、理性界に属するものとしては道徳法則に従って生きるべきである。定言的命令に従うことが、人間の道徳的、倫理的に正しい生き方であり、また、道徳法則は良心の命令であり、一切の目的や条件を超えたものである。」

先の戦争の例でいえば、「平和の目的であろうと、人を殺すのはとるべき行動ではない」ということになるのでしょうか。小沢氏の件でも、目的はどうで手法としてはいかがなものか、という世論なのだと思います。

さてこの帰結主義対道徳論、私たちの身の廻りや家庭、その他の日常でも多く目にすることがあります。勝負事でも「勝つための手段は選ばない」と「結果はどうであれ最善を尽くしたのなら仕方がない」という考え方もあるでしょう。企業でいえば、「利益最優先の行動規範」と「倫理的意義が行動規範」となります。多くの企業が株主と株価、またさまざまな人の絡みの中で「倫理的行動より結果優先の行動」を取っていることも歴史が証明しています。

「企業が生き残るにはリストラも止むをえない」という帰結主義的行動もあれば、「それは理解できるがリストラという手法はどうか?」という意見もあります。

あれ、道徳的のジレンマとは趣旨が違ってきたか、、。

そもそも立場が違うことでこの議論は尽きることなく、そして多くの場合は「平行線」。朝までなんとかというTV番組では朝まで討論していましたが、生産性でいえばマスタベーションに過ぎず、見ている側も「そこで熱くなっていても何にも変わらねえんだよ」と思っていた人も多くいたと思います。

帰結主義と倫理道徳水と油
太陽と北風
企業と社員
意見と意見
右と左、、、

私はこの講義風景を見た時に感じたことがあります。

イデオロギーがありそれぞれの立場があるのはわかる。
しかしそれを超えるためには何が必要なのだろうか、と。

「理解と忍耐」

お互いに理解をしどこかで我慢をする。どうでしょう、こんな感じなのは。

そういえば沖縄が帰結主義と倫理道徳にゆれていますね。さて規定路線の原稿案か、また当初の通り県外案か、はたまた腹案か、、、。
またまた沖縄の方々に理解と忍耐を要求することになるのでしょうね、、、。

道徳というのは哲学の分野でも身近な論題です。ご興味あるかたはこの本をどうぞ、、、。

道徳形而上学原論 (岩波文庫) (文庫)  
 
しかし道徳って深いなー。


2010年 04月 06日

米雇用統計で株強気論じわり、円債にも底堅さ 

「[東京 5日 ロイター] 週明けの東京市場は、米雇用統計を受けたドル買いに反応、株高/債券安の流れとなった。上昇トレンドが続いている株式市場には警戒感も指摘されるが、海外市場との比較では依然として買い余地がある、との強気の声も聞かれる。」

世界経済は1年半もの期間を経て回復の兆しを見せてきているが、日本ではまた政局の動きを目の当たりにしている。
世界が動いている間でも親からのお金がどうとか、内向き議論に終始をしているわが国ってどうなの??
しかし、われわれ「日本」という国の行方がどうであれ、このまま世界経済が中国を初めとしたアジア諸国またはBRICsが回復基調に乗ってくれば必然的に輸出立国である日本経済も引き上げられるように回復するだろう。
しかしそうなった場合、社会保障制度や政治不信の問題はまた「色の白いの七難隠す」という状態になってしまうのではないか、という気がする。
企業でも思い切った手を打つにはタイミングがあり、もちろん痛みも伴うがやはりその時期というのは「業績の悪い時期」がそのタイミングという場合が多い。
「今の悪さを改善し向上させるには今しかない」という具合だ。

この1年から1年半はまさにその時だったと思う、、、今もその時期かもしれない。
だからこそ議論すべき問題や政策があるはずなのに、どの政策も場当たり的で政局向きであるのは非常に残念。
もはや世界はカップリングしているのだから経済が悪くなったのは日本だけの責任ではない。首相のクビがいくつ変わっても世界を牽引しているのはもはや日本ではないのだ。
だからこそ内向き議論は程ほどにして、もっと視野の広い、国家100年の計が語られなくてはいかんと思うのですが、、、。

このままでは失われた10年がまたやってくるのではないかと思う。特に社会保障制度の大改革はこの時期に思い切ってやって欲しかったと思います。
票田取りの補助金政策はもういいだろ、食料自給率も木材自給率も補助を一切やめれば国際競争力が出て価格優位になるはず。
国が金を出し口を出している業界が上手く成長するわけないだろ。そこに覚悟に近い帰結的議論があるかどうか?

新党結成へ5日夕最終調整 平沼、与謝野氏ら 

「平沼赳夫元経済産業相、与謝野馨元財務相らは5日夕、8日の新党結成に向けた会合を都内で開き、党名や基本理念、政策などについての最終調整を行う。新党には共同代表となる平沼、与謝野両氏と、自民党の園田博之前幹事長代理、藤井孝男元運輸相が参加。また、鴻池祥肇(よしただ)元防災担当相(69)の参加も有力視されている。」

先に鳩山氏が自民党を離党した際に「坂本竜馬」を口にしたが、年が違いすぎると誰もが思ったことだろう。
それでこの新党、平均年齢が70歳近い。もちろん年齢は関係がないといえばその通りだが、もしかしてこの歳にならないとモノが言えないのかもしれない。
ここにきて民主党の支持率も急落しているが、今の日本政治における欠落は「若気」ではないかという気がしてきた。

逆襲なるか自民 若手の「政権力委員会」、幹事長代理には河野氏 

「自民党は5日の臨時役員会で、離党届を出した園田博之前幹事長代理の後任に河野太郎衆院議員を充てる人事を決めた。参院選選対本部に政策分野ごとの組織「政権力委員会(ネクスト・ジャパン)」も新設し、中堅・若手を起用する方針だ。谷垣禎一総裁は役員会後の記者会見で、選対本部について「新しい自民党の姿がみえる態勢にする」と意気込んだが、党内の不満を抑えられるかは不透明だ。」

この期にして「仕方なし感」が見え透くがしないよりマシということか。

iPad、初日に30万台超を販売!

「米電子機器大手アップルは5日、米国で3日に売り出した、電子書籍にも対応した新型マルチメディア端末「iPad(アイパッド)」の販売台数が3日深夜までに30万台を超えたと発表した。インターネット小売り大手のアマゾン・コムとソニーがほぼ二分してきた米国の電子書籍端末市場の勢力図を大きく塗りかえそうだ。」

政治?そんなことより「iPad(アイパッド)」だろ?、、、やっぱりそうでしょう!ね、大川社長!



2010年 04月 01日

皆様にはご迷惑をおかけしております。
ただいま、Robinは研修旅行の5日行程の3日目です。
名古屋店はお休みですが、高山本店には留守番がおりますので何かあればそちらまで連絡を下さい。
対応させて頂きます。

Robinの蜘手です。

「よい会社」とはどのような会社を指すのでしょうか。

経営者なら誰しも思い考えることだと思います。
あることをきっかけにここ1ヶ月くらいずっと考えていました。

人の価値観というのは立場、環境によってさまざまです。
相対的に感じることもあれば絶対的に思うこともあるでしょう。
立場が違い価値観が違うものを論じてみても意味がないのでは、と思えたりもしました。

そもそもよい会社などという定義などない、のだと。

「どんな会社にしたいか?」と社員に聞いて、ちゃんと答えられる社員がどれだけいるでしょうか。
またそれを聞いて実現すると果たしてそれがよい会社になるための道筋になるでしょうか。

なる場合もあればならない場合もある、たぶんそうでしょう。
その時々によってきっと答えが変わるからです。

人間、苦しい時に一致団結するのは容易です。しかし状況が好転すると人心が離れる場合があります。
揉め事は上手くいったときに起こる。私はこの経験を何度もしてきました。

だから上手くいった時こそ手綱を引き締めるのです。一度緩んだものはなかなかもとに戻りません。
油断と驕りが流れを変える、、、高校野球の一球の怖さ、これも同じ。世の中には流れがありその流れに逆らうことは容易ではないのです。

私が考える「よい会社」とは「社員と社員の家族が誇りに思えるような会社」です。

いくらお客様満足といっても私たちのような属人的業務が多い職業では社員の熱意や誇り、成長したいという気持ちに勝るものはありません。
だから大手に勝つこともできますし、逆もあるわけです。

会社の出来不出来だけで判断されたらまったく勝ち目などありません。
やはり会社の財産は人です。それはすなわち社員であり、実はその社員を支える家族だと思っています。

今日、このブログも社員研修旅行先で書いています。
留守番を2名置いてきましたが、ほぼ全員で5日間というこれだけの長い期間休むことに正直、抵抗もありました。業務に影響がどれくらいあるか、は戻ってみないとわからないでしょう。お金も使いますので税理士の先生はピリピリしていますが、積み立てもありました。その心配より時間を取ることの心配が大きかったです。

それを予測し考えうる全ての段取りを取らせましたが、それでも不備があろうかと思います。
しかし経験をしないとわからないこともあると思いました。影響がどのくらいあるのだろうか、成長したいと思います。

また「時間は作るもの」と日々言っていることの実践でこの経験を次に生かせるように社員にもしてほしいと思います。

しかし「普通の会社じゃない」私たちの取り組みは何かを成長させてくれると信じています。
お金より大切なもの、時間でありまた家族であり。

人生を豊かにするのは、出会い、歴史から学ぶ知恵、そしてかけがいのない経験です。
どんな会社にしたいかなんて、どうでもいい議論かもしれません。私や社員たちにとって評価などとるに足らないことだと思えます。

人から見えること、自分たちで感じること。私が考えていることが実現しなくても、私がしようとしていたことは残ります。
その残そうとしたこと、それが私たちのDNAになるはず。
私は社員に「どんな人生を歩みたいか、仕事は全てではなく、その仕事を通じて豊かな人生を生きることが大切だ」と話すことがよくあります。
お客様にも私たちの仕事の提供するものを通じて人生が豊かに過ごして頂きたいと願っております。

老いては何をしようとしたかであり、若いときは何をしようとしたかである。
Robinはいつも「何をしようとしたか」の連続です。お客様の期待に応えることのできる会社へ成長をしたい。

私たちの会社はまだまだ「よい会社」ではありません。でもしっかりとその「よい会社」を目指し進んでいることに違いないと社員一同、考えています。

、、、、と、カッコいいこと言っても何度も起きて手帳を見て仕事のスケジュールを確認し、社員の顔を見るたび業務の話をしたいのをグッとこらえ、夜になると家族の寝息が聞こえる傍でPCを開き仕事をしている私はやっぱ小心者、、、。なんとかならんかな、この性格、、、