今日は名古屋で業務。
しかしいい天候ですなあ。
もうすぐクリスマスと言うのに。
ま、天候とクリスマスは関係ないですが。
うちの息子の話。
うちの息子「もしかしてクリスマスのプレゼントってお父さんが持ってくるんじゃないの?」
私「え、でも去年、お父さんもプレゼント貰ったよ」
うちの息子「、、、ああ、そうか!お父さんがサンタだったら自分に買わないもんね!」
、、、いやいや大人は頑張った自分に買うのだよ、息子よ!
Robinの蜘手です。
情報量の多さと正しい購買とは相関性があると思います。
もっとも正しい買い物とは買った自分が良いと信じた結果であるでしょうから、それぞれの価値観によるところが多いのでしょう。
価値観ということでいえば、人それぞれ、また時代背景にあったものが選択されます。
そうゆう意味では、情報量の多さは決してプラスに働くことばかりでもないような気がします。
「モノを買う」という場合、どんな作業から始めるでしょうか。
私の場合はとりあえずネットで検索する、これがポピュラーになりました。
情報量はたくさんあります。それも無料同然で無限に入ってくる情報。
とても便利ですが、時には取捨選択をするには「選ぶものが多すぎても、選べない」という皮肉な状況になることがあります。
「もっと良いもの、ふさわしいものがあるのではないか???」
そりゃ選択肢が多いほうが正しい選択ができる可能性は増えると思います。
しかしそれが正しいかどうかを思うと情報が少なかった昔(ネット普及以前)は購買基準も簡単だったのかなと思います。
また少ない分、選ぶ手間も省けます。また決めてしまってからの情報も少ないですから後悔も少なかったかもしれません。
50代以上の方はこの判断になれているせいか、「これだ」と思ったら素早く購買する気がします。
私のように何でもネットで検索し、判断する人間は「もっと、いいものがあるのではないか???」と簡単に信じることができなくなってきているかもしれません。
皆さんはいかがですか。
さて、判断ということになれば、基本的には「選んで決めたい」と誰もが思います。
「○○より△△がいい。なぜなら□□の理由だから」
選んで比較して検討する、言い換えれば相対的判断をしているといえるでしょう。
メリット、デメリット。良い点、悪い点など比べることで選ぶこと、とても大切なことです。
しかし先述したように情報が多すぎると自分の処理キャパを超え「情報が多すぎて選ぶ基準がさっぱりわからなくなる」ということがあります。
事実、私たちの身の回りにも起きている現象であり、特にネット世代である今、日常的に起きています。
すると何が判断基準になるか?
信頼できる人の選んでいるものを参考にするケースが多い。こんなことありませんか?口コミやブログ、他人の評価を購買基準にすることが多くなってきました。
例えば、地方の居酒屋に行ったとします。
客「お酒下さい」
店主「へい。当店ではこの3種類がお勧めです、どれがいいでしょうか?Aはこの地方で辛めの酒で男性に人気、Bは甘口で女性向きですね。Cは万人受け、でも○○賞を受賞しましたよ」
客「じゃあ、A下さい」
選択数の分母が少なければ、自分で判断できます。
しかし次のケースはどうでしょう。
客「お酒下さい」
店主「へい、うちでは全部で20種類の酒を用意しています、説明しましょうか?」
客「え~~、そんなに聞いてられません。店主のお勧めはどれですか?」
店主「今日はコレがお勧めです、だまされたつもりでお召し上がり下さい」
どうでしょうか、流れは理解できましたか。もちろん極端な例の話なので上手く行き過ぎていますが、要は選択の分母が多いということ=最善の結果が得られるというわけではない、という私の考えをご紹介したかったのです。
選択分母が多い場合、信頼できる人に委ねること。これは相対的判断ではなく絶対的判断といえるかもしれません。
まあ、その選択を委ねる人を選ぶのにも大変苦労を重ねるのですが、、、。
(絶対的判断というのは善悪の場合に用いられる用語です)
乱暴な言い方ですが、最後は「信じるしかない」というのもあるのでしょうか。
というか「裏切らない人」を選びたいですよね。やっぱり。
状況や時代が変われば、今日まで陽だったものが、明日から陰になることもあります。
当たり前といえば当たり前ですが、今年はそれに欠ける事件が多かった気がします。
長くなりましたが、もう1つ事例をお話します。
商品や機器、また家電製品などは比較検討がしやすい部類になります。
大手の会社やメーカーなど。
「うちの○○はあの会社の△△より良くてですねえ、、、、、」というような。
もちろんそれが大手やメーカーの強みにもなっているという前提ですが。家電コーナーへ行くと、それぞれの比較が書いてあります。とても参考になります。
私たちのような住宅、リフォームの場合はどうでしょうか。
モデルハウスもあるわけではなく、いくらイメージを沸くような努力をしたところで机上は机上。
何もかもそろっている大手とはやはり格が違います。そもそも比べること自体がどうか、ということも思います。
では大手にはないものって何だろう?
「情熱」というと少しカッコよすぎでしょうか。
やはりどんな素材やどんな技術があっても、「人の心」があってこそ。負けない「情熱」があってこそ。
「色々な商品があります。私たちもたくさん比較をし、検討をしました。そこで選んだのがこの商品です。我々はこれが今は最善だと思っています」
Robinはどちらかというと相対的基準3割、絶対的基準7割でしょうか。
コンセプトと意見を持った会社です。
蛇足ですが中小企業が「相対的判断」でセールスする場合、最後はプラス材料がなくなって「足を引っ張るような」トークになることが多いでしょうね。
まあ、仕方ないといえば仕方ないのでしょう。それが駄目といっている法律もないのですから。
でも美しくないですね。
「武士は食わねど高楊枝」ということわざがあります。
武士は、仮令(たとえ)貧しさで物が食えなくても、満腹(まんぷく)を装(よそお)って楊枝を使うものだということ。武士は生活に窮(きゅう)しても不義や恥ずべきことを行なわない。
また、武士の気位(きぐらい)の高さを喩えた言葉。
どうなるかわからない不透明な時代だからこそ、こうありたいものです。
まあ、私もものすごくお腹が空いているのですが、、、、。
結論のない話で失礼しました、、、。