今日は終戦記念日、8月15日。
Robinの蜘手です。
TVのニュース番組、込み合う東京駅にて。
TVリポーター「どこに行かれるのですか?」
お父さん「実家の山形に帰省です」
TV「いつも新幹線ですか?」
お父さん「いつもは車なんですが、ガソリンが高くて」
TV「やっぱりガソリンが高いと車の運転を控えますか?」
お父さん「そうですね」
高速道路の渋滞が緩和されているというニュースも併せて報道。
旅行も近隣が多いとか。
このご家族、少なくても4人はいましたが、4人だったらいくら高いと言ってもガソリンの方が安いのではないのか??
と素直に疑問。
だって4人で新幹線の方が高いと思うけどなあ。面倒なので調べてませんが。
なんでも原油高にすれば、確かに話は通りやすいけど、安易な構成のTVニュースをふ~~~~ん、と思った次第。
誰か計算してください、笑。
さて。
いきなりですが、“愛すること”の反意語は何でしょう?と聞かれたら
いろいろとあると思いますが、私は“無関心”ではないだろうか、思っています。
“嫌い”であればまだ対応しようがありますが、無関心なものの心を動かすのは難しいですね。
クレームでも言って下さる方が末永いお付き合いに至るケースがあります。
以前、20代を含む若者の自動車離れについて大手自動車メーカーの人が
「走る楽しみを覚えてもらえば」と言っていましたが、そんなレベルでは無理でしょう。
大体、車を所有することに興味がないし、無関心なのです。
根本の問題解決をしないと若者の需要が上がるわけありません。
ましてや小型スポーツカーで何とかしようとしてもどうでしょうね、という話だと思います。
そうゆう意味で、関心がない、というのは寂しいものです。
そんなことを思っている矢先、今日の終戦記念日を通じ、そんなに遠くない時期に「戦後という時間」そのものに興味がないという人たちが増えてくると感じました。
特にTV離れをしている世代を見ると、「今日って終戦記念日なんですね」という声もありました。
これは由々しきことだと思いました。
私は歴史が大好きですから、戦争に至る時間にどんなことが考えられて、どんな空気だったのかと考えたりします。
またこの戦争に勝っていたらいたらどうなっていただろうか、と考えたりもします。
もちろん私は戦争反対ですし、どんな理屈があろうと最後まで戦争反対の立場をとると思います。
日本国に愛を持っていますし、それは皆さんも多くはそうだろうと思います。
しかし、“国民は終戦や戦争に関心は持ってもいいが、これには関心を持つべからず”という風潮のものがあるとすれば、憲法改正、軍備ではないでしょうか。
確かに平和宣言をしている日本とすれば、軍を持つ必要もないし、ましてや核を保有することも必要ありません。
しかし時を経て変化するものがあるように、時代も変化をしています。
いつでしたか、日本が核を保有する可能性の議論、をしようとした国会議員が猛パッシングされてましたね。(特に朝日から)
確か選挙も近かったせいか、タブー視されているのを見て、「議論するくらいいのでは、それじゃ言論封鎖じゃん」と感じたものです。
しかし無関心になってきている、若者に「なぜ日本が軍備をしないのか?」と聞いて議論させるとどうなるでしょうね。
憲法に至っては戦後、改憲はもちろん、それ自体を議論することもタブーとされてきました。
今、やっと政府内で議論をされているようですが、これも選挙や連立の関係でどうなるかわかりません。
いずれにせよ、国民は改憲と軍備は「無関心でいるように」と判を押されたようになってしまっています。
「あるべき論」は大切です、戦争も2度と繰り返してはいけません。
しかしその上にたった議論は今、戦後に無関心な人たちが増える前にやっておかないといけないことだと思います。
平和を祈ること、その平和を守っていくために必要なこと。
自分たちの頭で考え、自分たちなりの意見を持つことも日本国という極めて人民度の高い集団がすべきことだと思います。
「そんなこと言ってみても、なんだかよくわからんが、戦争だけは嫌だ」という意見もあるでしょう。
しかしその経験をしていない私たちは、半世紀たった今、これを後世に残すためにやはりしなくてはいけないことも多いと思います。
今、中国では待ちに待った五輪が開催されています。
高揚感でいえば、最高潮の高揚感。
しかしこの高揚感は「そんな細かいことは後回し」ということの上に成り立ちますから、アフター五輪の中国は高揚感の中に埋まっていた問題が噴出してくるでしょうね。
戦争では多くの方が犠牲になりました。
私たちは63回目のこの日を無事に過ごせたことを先人たちに報告をし、また感謝をしなくてはいけません。
無関心ではいられない、重大で大切な日だと思います。